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川崎ヤエ回想録・・・政治編その5

2009年01月09日 | 川柳

           市議会議員の一幕見

 「次の案件について・・・賛成をしなさい!」D市議会議員(函館財界人)

昭和22年、終戦の翌年川崎ヤエ氏は北海道新聞社の文化課長としての仕事から一転して「函館市議会初の女性議員」として、その後4期16年函館市の政治に実直にかかわることとなりました。

                川崎ヤエ44歳

(当時の集会などの写真を見ると、川崎ヤエ氏の眼光は鋭い。)

「わかったな!」D市議会議員

「申し訳ありませんが、あなたは確かにこの函館では地元を代表する大会社の社長様でしょうが、この市議会にあっては私もあなたも一議員として平等な立場でございます。あなたがいくら私に賛成せよと言われましても、私はあなたの社員ではございません。私は私の考えによって採決させていただきます。」ヤエ

「・・・・・。」D市議会議員

日本もこの函館も敗戦から立ち上がりながら市議会を運営すること事態、今の時代から見るとたくさんの「大困難時代」の政局運営だったことでしょう。

昭和21年、中央政府では女性国会議員が39名出現しております。

マッカーサーからの贈り物でもある「婦人参政権」がやっと日本にも与えられたのでした。(明治時代よりの長い道のりでもありました。)

ただし、「婦人参政権」は、日本政府で可決されたものではありますが半ばアメリカからの圧力によって生み出されたものでもあります。

地方政治にも婦人を!・・・という風潮でもあったのでしょう。

「さて?函館からご婦人の議員を・・・」と見渡しても「政治家」としての素養を見ると、「教育・文化・政治」に通じている「川崎ヤエ氏」に北海道新聞社が「適任」とみて・・・彼女を推したのだという事は容易に推測ができます。

そして、函館市議会は日本の敗戦の混乱を背景に「軍国主義」で教育された政治家の殿方と「女性の地位向上」を胸に深く秘めた「才女」とのバトルは又、彼女をより大きな器の政治家、人間として成長のバネさえ転化をさせたエネルギーであったのかもしれません。政治的に無為で姑息な事象には足を引っ張られながらも、彼女の見識、良識の高さはその不穏な波さえも織り込んだかのように見せながらも政策決定には是々非々の態度で臨んだことでしょう。(彼女の今を見れば、人の過去というものはうかがい知る事ができようというものです。)

それが証拠に、川崎ヤエ氏は男達の言うことを聞かないから一層のこと議長にしてしまえ!という影の陰謀にも「議長になったら女性を代弁できない!」とこころに刻み、最後まで拒否をし、抵抗をして「議長の椅子には座らなかった」と・・・いう一幕もあったそうです。

函館市の「女性の代表・代弁者」としての、16年間の政治活動は彼女にとっても「男尊女卑」がはびこっている中で、女性の地位を確立していくことは並大抵のことではなかったと・・・察する事だけはできます。

さまざまな困難があればあるほど、さまざまな圧力があればあるほど

川崎ヤエ氏は「知恵を磨き」「アイディアを駆使し」自分自身にたゆまぬ勉強を積み・・・日本の未来を地方(函館)から作り上げながら進まれたのです。

                 たった一粒の麦

その踏まれるたびに強くなる川崎ヤエ氏を函館のご婦人達も一生懸命敗戦から立ち上がるために彼女をバックアップしたのでした。

川崎ヤエ氏の父親が「お前が男だったらな・・・」と何度も言われ、

今生の別れの際の寝床では「うちにはヤエがいるから大丈夫だ。」と言われ目を落とされたといいます。

            「ヤエがいるから大丈夫だ。」

  この絶句もまた、彼女に大きな人生の課題を与えたのでしょう。

 

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