現役の仕事をすべて退任されたのが85歳。
北海道の女性史をひもどくとこの「川崎ヤエ先生」にぶつかるであろうと思っています。
明治36年12月生まれ、函館の五島軒という老舗レストランの真向いにヤエ先生は住んでおられたそうです。
父の背中におんぶされ、幼いころ何度も聞いた「義太夫」。幼児期に体験したことは、生涯に亘って何らかの影響をその人格形成に左右する事は当然のことですが、ヤエ先生が小唄をたしなまれたのも、義太夫の謡曲が流れる歌舞伎もよくごらんになったことも、そんな、大好きだった父親との思い出だったのかも知れません。
特に喜ばれたのは、函館の無形の財産である「こども歌舞伎」です。
舞台に出演しているこどもたちを見守るまなざしはいつも「慈母」そのものでした。
たまに、先生と手を繋ぎながら歩いていると、(転ばぬように)その人肌から伝わってくる温かなエネルギーが「函館版マザーテレサ」じゃないかと思ったこともありました。
こんなことを書くと、きっとあの世から「マザーテレサと川崎ヤエのちがいはどこか!」という、ご自分の「自省談反省談」になりそうなので、余りほめない事と致しましょう。
(ほめられて・・・乗せられて・・・天まで昇る・・うつけとはまったく違いますね。)
「せんせい・・・!先生は沢山の有名な方々からいろいろなものを頂くのに・・・何一つお部屋に飾っていないですね。・・・そして、名誉アルいろんな受賞もされているのにそれもない・・・ですが・・・どうしてですか?」40さいの私
「いろんな方々から・・・たくさん頂戴しましたよ。函館では一番位が高いらしい賞もいただきましたよ。みな納戸にしまってあります。」ヤエ
「せんせい・・・ひとつくらいお飾りになられてもいいかな・・・と思います・・・が」私
「そうかい・・・。だがねえ・・・いくら素晴らしい賞をいただいていても、わたしゃー50年前憲兵に追っかけられた人間ですよ!50年たってあなたのしたことはすばらしかったって・・・今更言われても、特段うれしいものではないですよ。
・・・・・・いいですか・・・・そのように、時代の価値観というものは
50年ごとに、知らず知らずに変化していきますよ・・・・・。
ちゃんと、時代の本質をつかめる女性にならなければいけません。
そして、あなたも・・・これからは・・・本物の人間とおつきあいをなさい。。。。。
ニセモノと付き合うと偽者しかなりませんよ。。。。。
ヤエ先生は、さりげなく諭すように・・・そうおっしゃいました。
川柳っていいね!北海道散歩・川柳北海道散歩・川柳北海道散歩・審美眼に優れていたヤエの生涯のほんのひと触り散歩・川柳北海道散歩は川崎ヤエ先生の懐にちょっと触れるだけかな・・・?・やっぱり私は極めた人が大好き人間・極めるとはnanzoya ? jibunwoikani seisurukotogadekirukadearu.