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川崎ヤエ回想録・・・政治編その7

2009年01月12日 | 川柳

        戦後復興の御旗を掲げた昭和22年

            日本は財政難。どん底。

    地方財政も窮地からの出発、昭和30年までボロボロ

   「美しい函館夜景」の始まる音がする。

「昔はねえ・・・公共事業と言ったって、各町内の電柱を2本・3本立てるのにさえも苦慮したものですよ。不正があってはなりませんからね・・・そこの町内から選出された議員をはずして公正に決議したものですよ。」ヤエ

今の時代では考えられない「公共事業」の「中味」であります。

日本そのものがアメリカのコントロール化に置かれ、戦後復興といっても今のような「箱物」など、どんどん建てられるすべもなく、市税・固定資産税の財源すらおぼつかず、函館市職員の給料すら危ぶまれた時代であったようです。

「あのねえ・・・帰りに吉谷元市長のところへ届けてもらいたいものがあるんだけどねえ・・・頼めるかい?」ヤエ

「はい!いいですよ。」私

「あの吉谷元市長は、函館市にとってすばらしい名誉市長でしたよ!」ヤエ

家路につく途中、元吉谷市長のお家にうかがってびっくり。

木造の一階建ての瀟洒なお家の周りはぐるりと高い木々に囲まれまるで、日中の陽さえお家には差し込んではいない。

暗い玄関口で50歳近くのお嬢さんがご丁寧に私を向えて下さいました。

なんとも不思議な感じで帰宅してから、もう十数年が過ぎ去りました。(仙人が住んでいるようなお屋敷でした。)

 今、ちょっと函館市史を検索しましたら、昭和30年ごろ吉谷市長時代から、函館財政が闇から脱したように書かれてありました。

       世界的に有名な函館夜景

函館の行政の台所を健全化させた元吉谷市長

「函館を良くしたい!」の一心が、そしてその強い思いと行動がヤエ氏にとっても自分を理解していただける大きな存在ではなかったのでしょうか。

そんな、共に歩んだ函館市政。

どん底の地方行政の難産を共に克服して行かれた先人達。

その息吹が街路樹の電柱の一本・二本・三本と函館の戦後復興の大きな市民生活のともしびであったことでしょう。

           その原点の延長線上に

「世界三大夜景」の歴史が内包されています。

その当時の町内に住まわれた方々の喜ぶ顔が見えてくるようです。(暗い夜道は物騒ですからね。)

 私がここから学ぶべき事は、国も地方の行政もこの夜の闇を照らす電柱の一本・二本に託した戦後復興の先人の思いを、今一度「原点」として振り返り、立脚して考える礎にしたいものです。

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