忠清南道公州、朝鮮半島を東西に流れる大河錦河のほとり、百済第22代文周王が、475
年に漢城から遷都した都のあったところです。
538年に、都が扶餘に移されるまでの64年間、百済の都として栄ました。
扶餘については、↓をご覧ください。
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1500年の眠りから覚めて、1971年、25代武寧王と王妃の合葬陵が発見されました。
陵内部玄室。
陵墓の中からは、多数の遺物が発掘されております。
王の金製冠飾。
青銅神獣鏡。
このほか、2800点を超える発掘品が、国立公州博物館に保管されています。
公州には、武寧陵を含む7基の百済古墳が確認されています。
公州城。
百済の宮城、熊津城の跡といわれています。
後の朝鮮王朝に引き継がれました。
公州、奈良平城京よりも、200年も前の百済の都です。