blog.mcnj

花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

覚王山 日泰寺

2010-08-05 07:58:32 | 写真

明治37年創建、覚王山 日泰寺。

A01

明治33年(1898)ネパール国境に近い、インド(当時英国領)ピプラワーで、英人駐在員が、

古墳を発掘中、人骨を治めた壺を発見しました。

壺に書かれていた古代文字の解読から、この骨が、仏陀の骨であることが確認されました。

仏教原始古典には、「釈尊の遺体を火葬して、八つに分けて釈迦族達が祀った」と記されて

いる為、この骨が、仏陀の物に間違いないと立証されたのです。

英国は、舎利瓶だけを、カルカッタの博物館に寄贈し、仏舎利は、仏教国である、タイ(当時

はシャム)に寄贈しました。

時のタイ国王、チュラルンコーンは、仏舎利を、同じ仏教国である、セイロン、ビルマにも寄贈

しました。

当時のタイ国駐在公使稲垣滿次郎は、国王に懇願して、日本にも頒与を申し出ました。

国王は快諾し、国王からの贈り物として分骨を決定しました。

日本の当時の仏教界は、13宗56派がありましたが、相談の結果、新たに無宗派の寺を

建立し、納骨する事になりました。

全国各地の誘致合戦の末、最も熱意の高かった名古屋市が、誘致先と決定し、覚王山に、

日泰(日本と泰国)寺を建立しました、

タイ国王は、寺院完成のお祝として、タイ国国宝の釈尊金銅仏1体も贈られ、日泰寺の

本尊とされました。

A02

A03

A04

↓仏舎利を祀る奉安塔。奥まったところにあり、写真を撮り忘れましたので、パンフレット

から、お借りしました。

01

A06

A07

チュラルンコーン王像。

A08

A09

参道にあったもの。

A10

A11

A12