大鹿村中央構造線博物館は、小渋川と青木川の合流する、中央構造線上に作られています。
1億3000年前、日本列島の一部は、アジア大陸の東岸外縁にありました。
その後、1億8000年前、すでに発生していた大洋プレートが大陸の下に潜り込む過程で、そ
の外側(外帯)にさらに、列島の一部が付着して、日本列島の原型が完成しました。
大洋プレートの沈み込みによる大きな力によって、大陸東岸は、横ずれの断層を引き起こされ
ます。
このずれが、後の日本列島の中央構造線となりました。
大陸東岸の縁は、引きずられて、大陸から分離し、日本海、オホーツク海が生成しました。
日本列島は、大陸から分離しながら、プレートの力を受け、西半分は、時計回り、東半分は、反
時計回りの回転力を受け、変形します。
プレートのぶつかる領域が、いわゆるフォッサマグナと呼ばれる、糸魚川ー静岡構造線となりま
す。
中央構造線は、静岡県西部付近から、今までの東西の線から、北東方向へ大きく曲げられ、
大鹿村を通ることになりました。
中央構造線の西側(伊那山地方面)は、旧大陸の高温変成岩(主に花崗岩)からなり、西南日
本内帯と呼ばれます。
一方、明石山脈側は、大陸プレートの下に潜り込んだ大洋プレート上の堆積物が、高圧の圧力
を受けて変成した変成岩で、全く性質の異なる2種類の岩石が接して続いている構造は、中
央構造線の特徴を良くあらわしております。
↑中央構造線博物館全景と岩石庭園。
それぞれ特徴のある岩石を、地域ごとに並べて、構造線が良く理解できるように展示してありま
す。
↑中央構造線の断層、北川露頭。
一番上の安康露頭と合わせてご覧ください。