blog.mcnj

花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

四日市公害と環境未来館、2深刻な公害の発生、地域住民の立ち上がりと公害裁判

2017-07-14 04:46:45 | 日記

昭和30年代初めになると、政府は、所得倍増の 掛け声のもとに、大量生産、大量消費、いわゆる、

使い捨ての時代へと、方向転換したのです。

企業は、この、国策に則って、設備の拡大、エネルギーの大量消費へと、方針変換していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この様な、無防備での企業活動の拡大は、いろいろな方面に、大きな影響を与え始めたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この様な、重大問題の発生は、産業優先の政府の方針、法整備の不備、医学、工学、土木、環境学等の学会の不勉強、

マスコミや国民の無知等々、いろいろな要因がもたらしたものだったのです。

塩浜コンビナートが本格的に、稼働を始めてしばらくすると、磯津漁港に水揚げされる魚の異臭問題が発生しました。

漁民たちは、実力行使に出て、工場の排水口を、封鎖しようとしました。

これにより対する、政府、行政、企業、マスコミ、国民の反応は、冷たいものでした。

それ程、当時の日本人の環境に対する意識は、低レベルなものであったと言うことです。

 

公害に苦しむ地域住民、被害者は、自力で解決しようと、立ち上がり、裁判を起こすことを決めて、

原告団を結成して、四日市地方裁判所に提訴をしました。

 

 

 

 

――続くーー 

 

四日市公害と環境未来館では、四日市公害勝訴45周年記念行事の一環として、

四日市公害写真展を実施ております。