終戦記念日もおわって、あの戦争の記憶も、一段落と思ったのですが、やはり、あのことは、後世に、
語り繋げていかねばならないならないとの思いを強くしました。
もう、しばらく、お付き合いください。
名前は忘れてしまったが、怖い先生がいた。
悪い先生ではなかったが、顔が河馬に似ていて、厳しい先生であったそうだ。
そうだ、と言うのは、主に上級生の担当だったらしく、mcnjのような、低学年の生徒には、縁が無かったからである。
戦争も末期であったから、上級生たちは、授業よりも、体育訓練の方が多かった。
いざと言う時のために、体を鍛えておけ、と言うのだろう。
小学校6年を卒業すると、高等小学校へ進んで、2年勉強する。
校舎も同じであった。
体育訓練には、小学上級生(4,5,6年生)と高等小学校生(今の中1,2年生)が参加して行われていた。
その訓練担当教師が、カバ先生であった。
校庭に集合させては、相当厳しい訓練をさせていたらしい。
軍事教練と称して、戦争ごっこのような訓練を、授業に取り入れていた。
南北に二つあった体操場のうち、南の一つは、松本五十連隊の兵達が使っていたから、もう一つは、雨天の時の訓教練と、講堂としての使い道が主であった。
毎週月曜日の朝とか、国の祝い事の時などには、体操場に整列させて、校庭の一角にあった奉安殿(陛下の写真を収めた保管庫)から写真を持ってきて正面に飾って、校長や、軍から派遣されて駐在していた軍人が、訓示を垂れた。
式が終わると、軍歌を歌わせられたのであるが、タイトルの「海行かば」もよく、歌わされた。
mcnjのような低学年生は、歌の意味など知る由もなかった。
ウミユカバ
ミズクカバネ
ヤマユカバ
クサムスカバネ
オオギミノ
ヘニコソシナメ
カエリミハセジ
こんな歌詞であったと思うが、意味は、成人するまで知らなかった。
戦争がおわってからは、歌うことも、思い出すことも無かったからである。
生徒達は歌い始めると、「カバ」のところに来ると、突然、大声を出して、力強く歌ったものだった。
まるで、軍事教練に対する恨みを晴らすかのように。