死んではいけない

2011-05-12 18:00:00 | 日記風
 昨夜から何故か眠れず、朝、ぼぉ~とテレビを見ていたら一報が飛び込んできた。

 若いタレントさんの自殺のニュースだ。テレビでは亡くなった以外が判らず、こういう時はネットだなと思ったので、検索をかける。
 グーグルの彼女の名前のニュース欄っていうのかな、ツイッターが凄い勢いで更新されていく。
 
 知って驚いたという内容でしかないんだけど、その更新速度を見ているだけで、何故か不安が募ってくるようだ。

 こんな天気の日に朝からこんなニュースはみんなの心を不安にさせるのだろうか。誰かの書き込みにそんなものがあった。

 と言って、晴れの日が選べるかと言えば、ないだろうな。

 ニュースはおいておいて。
 今日は病院に行く約束があったので、早々に出かける。
 けれど、家に返ってきた途端、めまいが始まった。仕事の業務連絡の約束もあったのだけど、電話でということになると、めまいのある時は電話はご法度だ。

 もう眠っていようかなと思う。

 自殺は原因が判らないと言われているが、それを研究している組織なのか人なのかがいると、以前ニュースで見たことがある。

 必ず最初に理由がある。

 例えば、借金であったとすると…。
 それを返さないといけない。仕事がない。期限が迫ってくる。違う事情が生じる。
 どんどん悪循環で、本人の考えがまとまらない。
 どこかで誰かに相談すれば、道が開けて止められるはずだという。でも誰にも言わず、そういう方は心に抱え込む。

 止められるはずなら、ぜひ、研究(調査?)を進めて止めてほしいと思う。


 やはり聞いた話だが、昔の人は1度行為に及んでも助かると2度とやらなかったという。これはもう昭和40年代とかそういう時代の話だと思います。
 死ぬ苦しさと生きる苦しさを比べたら、生きるべきだと思うらしいです。
 
 でも今は1度行為に及んだら、死ぬまで続くと言います。

 今と昔では、理由が違うのです。

 昔は物理的に明日の米がない。そういう生活苦が追い詰めてしまう。
 今も生活苦が追い詰めることはあったとしても、明日の米がないという物理的な問題ではなく、精神的に追い詰められてという差なんだと思う。

 精神的なものの方が出口を失くしやすい。胸にある問題は誰にも察せられない。

 まして、周りに気を遣い明るく振舞う人であればあるほど。

 周りは「何故?」という思いが強いだろう。

 私に答えが出せることじゃないですしね。



 特にまとまりのある文章にならないんですが、死んではダメと思います。



 何故でしょうね。
 私も去年から多くの大切な方を亡くしました。

 残される悲しみを知ったせいでしょうか。



 死んではダメだ。

 死んで花実が咲くものか。古い言葉の方が身にしみることもある。
 生きてさえいれば、道は開けると信じたい。

私の常識はあなたの非常識?

2011-05-12 15:00:00 | 日記風
 最近「普通」ってむずかしいんだよ、という話になりました。

 そう言えばで思い出しましたが、確かに、よく 
 「それって普通じゃない?」
 と言っていても、内心(いやーー)と人ごとだと思うことがあります。

 昔、ある所でアルバイトをしていた時ですが、社長の奥さまがよく仕事中に私用電話をしてました。なんとなくその電話が始まるとみんなが息をひそめてしまうことと、どうしても興奮するから声が大きくなり、内容が丸聞こえになってきます。

 「それって常識じゃありません?」
 よく奥さまはお友達にそう言ってしましたが、若年層の私からすれば60代の奥さまの言っている常識が(そうかーーー?)というもので中流階級?下級階級にいるせいか、やはり(そうかーーーー?)と思う話が多かった。

 だから、属する人間関係によって常識って言ってもずい分違うもんだなと、しみじみ思ったものです。



 だいたい仕事中に私用電話を延々かけていることが、非常識と言えば、その通りだと思います。



 海外なんか行けば、間違いなく日本の常識は非常識そのものです。



 そう考えると、自分にとって常識であっても、育ちや会社が違えば、常識も違うのかもしれません。
 「普通そうでしょ?」
 という「普通」がまるで違う。「普通」なんて共通事項はまずあり得ない。
 この狭い日本でも、そういうことはあるのかもなと改めて勉強してしまった次第です。