うちの母の話になるが、母は仕事がなにより大事な人だった。
子どもが熱を出そうが、仕事に行ったくらい仕事が大事だった。
家庭よりも仕事、子どもよりも仕事。
365日24時間仕事人間だった。
その母が病気で倒れてからなにより大事になったのは、子どもになった。
子どもを産んだことが何よりの誇りになった。
あのときわたしの世界観は一気に崩れた。
仕事を選ぶ母をどこかで憎み、どこかで尊敬してきた。
でも、母も普通の母だった。
そう思ったらそれまで信じていたことが全て根底から崩れた。
子どもは母親の作品というが、私は母からできそこないの烙印を押されていた子だよ。
そのできそこないがなにより大事になった。
どんな社会的地位を持とうが権力を持とうが最後、年をとれば大事なもの、確かなものが子どもとなってしまうなら、私も子ども産んで平凡な生活をすることがいいのだろうかと本気で思った。
若く自由の聞く時間は短いのかもしれない。
今も仕事がしたいという母だが、本当の気持ちはどこにあるのだろうか?
子どもなのか。
仕事なのか。
私は判らないまま気ままな母の話に付き合うしかない。
子どもが熱を出そうが、仕事に行ったくらい仕事が大事だった。
家庭よりも仕事、子どもよりも仕事。
365日24時間仕事人間だった。
その母が病気で倒れてからなにより大事になったのは、子どもになった。
子どもを産んだことが何よりの誇りになった。
あのときわたしの世界観は一気に崩れた。
仕事を選ぶ母をどこかで憎み、どこかで尊敬してきた。
でも、母も普通の母だった。
そう思ったらそれまで信じていたことが全て根底から崩れた。
子どもは母親の作品というが、私は母からできそこないの烙印を押されていた子だよ。
そのできそこないがなにより大事になった。
どんな社会的地位を持とうが権力を持とうが最後、年をとれば大事なもの、確かなものが子どもとなってしまうなら、私も子ども産んで平凡な生活をすることがいいのだろうかと本気で思った。
若く自由の聞く時間は短いのかもしれない。
今も仕事がしたいという母だが、本当の気持ちはどこにあるのだろうか?
子どもなのか。
仕事なのか。
私は判らないまま気ままな母の話に付き合うしかない。