PTSDからPTGへ 心の傷はプラスに変わる?

2011-05-19 15:00:00 | ニュース
 良く聞く言葉だと思います。


 PTSD 心的外傷後ストレス障害



 震災でもこのことが心配されています。
 これはすぐ出るわけでなく半年くらい経って事態が落ち着いてから、出ることがあるそうだ。

 なってしまえば苦しむ。
 ならなければそれに越したことはない。



 誰にでもその危険性はあり、まさしく今そういう問題に直面している方も多いことでしょう。



 今はPTGって言葉もあるそうです。

 トラウマ後の成長を現すそうです。最後のGがまさしくgrowth(成長)のGをとっているそうです。
 つらい思いをしてもそれを乗り越えてられた時が、成長となる。
 ポジティブ思考に切り替えられる。心の傷も乗り越えられるとそうなるそうです。だから逆にちょっとした事が起きても却って、あの心の傷でも乗り越えられたんだからと強くなり力を得られるらしい。



 PTSDそれだけを考えてしまうとつらくなってしまうけど、PTGまで考えることができれば、人は乗り越えられ、希望を得られることができるんだ。



病人、病人、私、そしてまた病人、

2011-05-19 02:00:00 | 日記風
 2009年暮れに本が出ました。

 でも数日前から緊張のあまり微熱が止まらない、そんな状態が延々続いていました。

 そして本が出ます。

 奥付は12月25日となっていますが、大人の事情で12月22日が刊行日となっています。

 この日初めて自分の本というものと巡り合います。


 さてここからです。

 私は、本屋へ挨拶まわりに行くことになっていて、その準備もあり、緊張のあまりの微熱となっていたのでしょう。


 でも喜ばしい時です。
 喜べばいいのです。


 しかし、それが最後までできなかった。

 22日がすぎ、年末年始が近づいてきます。本屋へ行くなら早く、そう思っていた矢先の23日の祝日、事件は起きます。

 事件、と呼んでいいのでしょうか。

 家族が倒れるのです。救急車で病院送りなのです。

 何が起きたのか判らない。

 年末、祝日、受け入れ先が決まらない。

 どこかパニック、それでいてどこか冷静でした。


 元々、23日に倒れた家族とは別に家は病人を抱えていました。

 だから、2人目の病人が出たにすぎないのです。

 出たにすぎないのですって言ったって、両方症状も違います。
 23日に倒れた家族は原因不明だったのです。とにかく搬送先が決まり検査を受けます。

 祝日と言っても救急は普段のように患者が溢れている。

 病院も人不足なんでしょうかね。

 廊下で診療が終わるのを待っている私に、看護師さんがこれからMRをとりに行くのでストレッチャー押してくださいというのです。

 ストレッチャー、家族が押すんですか?
 患者が寝かされて運ばれていくベットですよね。

 MRをとる時ストレッチャーを入れるためにドアまで抑えます。

 もう、パニックですよ、パニック過ぎて逆に冷静になってるような感じですよ。


 それでとにかく一晩はお泊りになるのです。
 原因判りませんし、もしかしたら脳溢血って言われたのかな。脳卒中じゃなかった気がする。
 「脳」がついてたのは判ったのですが、もうこっちもパニックですから半分聞いたら頭は飛んでます。

 それでも私は書店へ24日は挨拶に行こうとするのです。

 本を作りたかったのも、作ったのも私かもしれない。
 けれどその過程で、多くの方が手を貸してくれてここまで来ているのです。私の気持ち1つで挨拶なんていっていられないとは言えないのです。

 でも限界なのです。とりあえず病院に一泊状態でも、私にしたら、そんなことまで言われなくてはいけないのか?ということが看護師の口から出るのです。

 何が何だか分からない状態になるのです。

 それでも持ち直し、24日挨拶に行くのです。
 挨拶に行くだけならそんなに疲れなかったのかもしれない。でも、入院の準備だなんだで病院へ行っていたら、もう持たないのです。

 こちらだって数日微熱が続いているのです。

 体力の限界は越えてしまっている。それ以上に精神力の限界を越えてる。

 無理なのです。

 でもどうにかしたかったのです。


 でも、ならない。


 年末というのが背を押します。家族が集まり独特な雰囲気の時期なのです。

 その時に何故、こんな思いをしなければならないのか。

 どんな悪行を犯すとそんな目にあわなくてはいけないのか。

 この当時の私は、よくこんなことを言っていました。

 
 本を出したというのに、1番晴れがましい気持ちの時のはずなのに、嬉しいと言えない。


 例えれば、
 
 やっとこぎけた結婚式の最中に実家が全焼したような気分だ


 喜んでいいのか、判らない。

 本を出そうが、周りはそれどころじゃないのです。おめでとうも何も言ってる状態ではないのです。

 病人が優先なのです。

 しょうがないのです。しょうがないことなのです。しょうがない巡り合わせになったのです。
 
 家族はとりあえず、2週間で退院をします。本人が退院を望んだので十分でない状態の退院となります。それでもどうにか気持ちは楽になります。
 なりますが、ショックは隠しきれない。

 あの頃の私、いろいろなショックが重なりすぎて、怖くて外に出られないほどになっていた。

 そしてつか先生のご病気の報道…。

 私の書いた本は、偶然と言えど、胃がんで余命3カ月の父親を息子が刺した?というものでした。

 この家に2人の病人を抱えた段階で、先生のご病気がある中で

 自分の本をどう肯定したらいいんだ?

 でも自分1人の本じゃないんだよ。私1人の思いで、私の勝手で、本の存在を否定できないんだ。
 売れてほしくないと、思ってはいけない。
 売れてほしいと思うことが悪いと考えることなんてできないんだ。

 多くの方が手をかけてくれてできた本だから、その方々の思いを考えれば、してはいけないんだ。
 私がどんな複雑な胸中を抱えていたとしても。

 それでも2月には劇作家コースに原稿を書かないといけないのです。

 だから、2月に入ってどうにか書き始めます。
 そして末日に出します。

 そしてその2日後に去年の23日に倒れた家族がまた倒れます。

 私の神経が尋常な状態でいられるでしょうか?
 いろという方が無理じゃないのか。

 どんな巡り合わせ?
 ここから何を学べというの?

 どんな思いが流れていてもすることはしないといけない。
 毎日泣き続けても、しないといけない。

 1年後には答えが出るだろう。何故こうなったのか答えが出るだろう。

 そう、この時点では信じるしか、私には道はなかった。

医者VS弁護士 どちらがそんなに偉いのか?

2011-05-19 00:00:00 | 日記風
 私の思いこみとしてまして、親族に医者と弁護士を揃えておけば、何かあった時は万全だというのがありました。

 違うようです。


 あるお医者様がトラブルを抱えた時、お知り合いのパートナーが弁護士だったため、助言をいただけないかと言ったそうです。


 

 それが、



 そんなこと電話で言えないよ




 とけんもほろろに言われたそうです。


 「弁護士ってそんな偉いのかとびっくりしたわ」
 とおっしゃっていた。


 私からしたら、医者も弁護士も共に社会的な地位があって、共に良識のある方という印象がありましたが、違っていたのでしょうか?


 少し前の話なのでその当時と今とでは事情が違うのかもしれませんが、家の母も医療関係の仕事をやってますが、相談されるとほいほい乗ってますけどね。



 医者と言えど、弁護士と言えど、最後は人間性の問題でしょうか?

 弁護士さんってそんな怖いのかしら~~?