2000円は沖縄では元気で流通してます!

2012-04-09 19:23:26 | ニュース
最近、2000円札を見かけない――そんな感想を持つ人が少なくない。それもそのはず、製造枚数ゼロは9年目に突入する。需要は伸びず、流通枚数も減っている。

 今も沖縄で2000円札は流通している。

 めっきり見かけない2000円札。その存在をしらない若者も多いんじゃないの?

 でも製造があったのは2000年に入ってからだ知ってるか。

 元々2000年の夏に開催された九州・沖縄サミットを記念して(?)発行された。

 最後に発行されたのは2003年のことらしい。そして今年も製造がそもそもされていない。9年連続製造0を記録している。

 そりゃ、見なくて当たり前だわ。


 どうも2000円というのは日本ではなじみにくいらしい。それにATM、自販機で使いえないことが、使いづらいで敬遠の理由になっている。

 ATMで入金はできるが、引き出しはできないものの方が圧倒的に多い。


 しかし、札に載っている首里城のある沖縄では今も健在のようだ。

 沖縄だとATMでも入れることも出すこともできるそうだ。9割というから全国から見たらめちゃめちゃ多い。


 今も普通に使われている2000円札。しかしそれも沖縄県の金融機関の努力があってこそだ。


 これからも沖縄に行けば普通に2000円にお目にかかれる。

 しかし沖縄で2000円をもらったら、それぞれの地方に帰った時に…使いづらいわな…。


 この辺、均一になるといいのにね…。

パニエ フランス雑貨の王道 ~恋する雑貨~

2012-04-09 15:00:00 | 日記風
 フランスでは昔から パニエ と呼ばれる編んだかごが生活の中で普通に使われている。


 日本からすれば藤の椅子、藤の入れ物、それのフランス版。

 正し、あちらは柳で編まれている。昔から当り前に使われてきた雑貨だそうだ。

 柳と言っても50種類のものを使っている。色も微妙に違い、それを編むと1個1個、個性的なものが出来上がるらしい。

 柳はしなると思うけど編むと折れやすいそうだ。だから売れる商品をきちんと作れるようになるまでに2~3年かかるそうだ。
 

 このパニエあらゆる場面で使われる。

 普通に小物を入れる。買い物かごとして使う。スーツケース型のもの。下に車がついてて引っ張ることがきるもの。座れるもの。ありとあらゆるものがる。

 お客様が着たりした時は、クッキーやチョコレートを入れて出したりする。網目の詰まった者ならそのまま砂糖を入れて出すこともできる。

 もちろん蓋つきのものもあるから隠しておきたい物はそういう物に入れてちょんと置いておく。


 日常のあらゆる場面で普通に使われる。



 キッチン用品として洗うスポンジをおくのもOKなのよ。通気性がいいから、重宝するらしい。

 確かにプラスチック製のものより自然にもいいように思う。

 これは一生ものだから、50年は使えるそうだ。1年か2年に1度水洗いをするだけでいい。日陰に干せば長く使える。


 現地でだいたい2000~3000円でちょっとしたものなら買える。

 日本でもフランス製品を扱っているとことでは買えるんじゃないかな。多分輸入税が乗ってるから値段はもっとすると思うけどね。


 ちょっと憧れちゃうお洒落な小物だ。



 しかし日本には合わない。日本だとお洒落の前に貧乏臭さがきそう。

 高価ととるか、貧乏くさいととるかその人によると思うけどね。

 柳のこうらとかあったからね、昔。古ーい日本の物入れ。大概長屋やなんかに置いてあったイメージだ。


 だから、その懐古主義が出てきちゃうと懐かしい、昭和、大正、明治の匂いになっちゃうんだな。

 日本ではそのまま使いこまれてこなかったからね。


 若い人が見ればまた感覚が違うのかな。


 BSの 恋する雑貨 で紹介されてました。

ヴェルサイユは普通の穏やかな地方だったよ

2012-04-09 13:08:20 | 思い出
 私が初めてフランスのヴェルサイユへ行ったのはもう10年以上前だ。

 もちろん目当てはヴェルサイユ宮殿。1日だけ現地に泊まった。

 しかしあの頃のヴェルサイユってただの田舎だった。びっくりするほど田舎。ヴェルサイユ宮殿の近くのホテルに泊まったが、あるのはコンビニの縮小版の店くらいで、あとはなんにもない。

 宮殿だけがどんと立ってその存在を誇示しているという感じだった。


 興ざめ、そんな表現が相応しい。


 もうマリー・アントワネットとかフランス革命とかそいういう歴史で盛り上がってるのに、実際は田舎町。

 そう言えばマリー・アントワネットもパリにいるのが疲れるから田舎のヴェルサイユ宮殿に引っ込んだとか何とか話があったかな。



 今はたくさんの観光客を迎えるから様々な店ができている。華やかな街に生まれ変わってると思う。



 でもどうも10年前の印象があるから、今更、ヴェルサイユっていってもあんまりなんにも思わないんだよね。

 あの当時も1日いただけだから、何が判っているかと言われれば不明だけど、とにかく「あら、田舎?」と思った感覚はどうしても抜けない。

イタリアは何かがある国なの?

2012-04-09 02:16:53 | 日記風
 私が今までいったことがある海外は、アメリカ、フランス、アラブ首長国連邦(ドバイのみ)イタリア。

 この4つだけだ。

 多いのか少ないのか判らない。ひとまずフランスにしか強い関心はない。


 でもどこの国に行っても、さした足る違和感という物を持たなかった。たった数日の旅だからかもしれない。

 フランスですら、はじめて1人で行った時意外、いろいろ考えることはなかった。むしろ日本とよく似た国だと思った。
 原宿にシャンゼリゼ通りがあってあそこがフランスのシャンゼリゼ通りをモデルにしてると聞いていたが、なるほどね~と思うくらい、外国人ばかりということと言語が違う意外、何の違和感もなかった。

 ドバイでさえ、プチパリみたいな都会でめっちゃくちゃ違和感を感じていない。



 ただ、イタリアへ行った時だけは違和感の塊だった。


 これは不思議なんだよね。


 着いた時から何都市かを巡ったけど、常に違和感が離れなかった。

 唯一違和感がなかったのがナポリの青の洞窟に向かうあたりだけだった。


 それ以外は「異国にいる」その感覚がどうしても抜けなかった。

 その頃の私の精神状態が関係していたのか、イタリア自体に何かがあるのか、とても違和感が強かった。


 この国は私と会わないのだろうか?と思った。

 けれどこれだけ他へ行っても違和感を感じないのに、ここだけ特別に意識をするというのは、逆に言うと、何か言うに言われぬ縁があったから、ともとれる。


 もちろん、今まで必要以上にイタリアに思いを馳せたこともないし、憧れていたわけではない。

 何故かどうしても青の洞窟に行きたくていけるチャンスがあったから飛び込んだに過ぎない。


 けれど何故あんなにずっと違和感があったのか。

 あれは後になればなるほど謎だ。



 合わないからなのか。

 何か特別なものあったからなのか。


 答えは見つからないだろう。


 あったとしたら今生のことではないだろう。


 だって子どもの頃から記憶をさかのぼっても、特にこれということはない。

 ピザが好きでパスタが好き、それの本場の国という認識しかない。


 何故あれだけの違和感を感じ続けていたのか。

 もしかしてもう1度行けば判るだろうか?


 しかし行きたいと思わないんだけどね。

 
 それにもう機会もなさそう。

 答えが出ないまま違和のあった国として永遠に私の記憶に残るのだろうか。