ヴェルサイユ宮殿には3,4回は行ったことがある。
最初は凄い楽しみにしていったが、ずい分昔のことになるので、とにかく驚くほどの田舎だった。
これで、それまで持っていた幻想というものが全て吹きとんだ。
今は観光地として整備されているので、そういうこともないんですけどね。その頃はまだ、そういう場所ではありませんでした。
それでもツアーに申し込んでパリを訪れると、入ってしまう。
今、初めて行く人には華やかな街で、宮殿も素晴らしく来てよかったという場所です。
ここでマリー・アントワネット、ルイ13世~、多くの貴族が暮らしていたと思うと感慨は違うでしょう。
しかし、ここはなかなか作られた時から残酷な場所でね。
元々ルイ13世がパリのうるささを嫌い、王の威厳を見せつけるために作ったというところです。
だから、王の生活は全て公開、王とはこういう生活をしていると庶民に見せつけるためのもので、色々な暗黙のルールがあったそうです。
そして時は経ち、あのマリー・アントワネットがオーストリアから嫁いできます。
それまで質実剛健の家族に囲まれ、家族と過ごすことが多かったマリー・アントワネットにとって、ヴェルサイユは驚きの連続だったそうです。
食事の風景を監視されている。出産も公開だったという話は聞いていたのですが、これにマリー・アントワネットは拒絶反応を示すのですね。
とにかく、食事してる風景まで見せるということが、嫌で嫌でしょうがなかった。
この宮殿には700室以上あり、1000人以上の貴族が暮らしていたが、暮らしやすい場所かというと、そうではなかった。
とにかく大きいから痛むのも早い。そしてどんどん暮らしづらくなる。
テレビで知って驚いたのが、その食事風景を見せることを嫌がったマリー・アントワネットに待っていたのは、生意気なオーストリア女に対する仕返しだった。
服も毎日、お付きの者が着替えを手伝うのではなく、住んでいる貴族が数十人かわるがわる、その日の衣装を手渡してマリー・アントワネットに着せる。ここで、私が先よ…という戦いまで起きるわけだから…その間、マリー・アントワネットは裸同然の恰好で待っていなければならない。
これが毎日、眠るまで続くわけだ。
でも最大の仕返しは出産のときに訪れる。
欧州の習慣として、子どもの入れ替えがあったりしてはいけないので、出産を貴族が見守るというのはある。
だから、数人のそれなりの地位のある人が見届けたと思っていんだけど、これが違う。
ここぞとばかり、宮殿に住む貴族、外から来る貴族が、陣痛で苦しんでいる最中に山のように寄ってくる。
机や棚に乗って見えやすい場所を確保する。
出産時にこれをされたら…もう見せ物扱いです。
それ以上に、屈辱だ。
しかもこのときは一般市民も入れたそうだから…一大イベントの見せ物になってしまった。
女は普通に子どもを産んでも強くなる。
見せ物にされながらの出産なら…強くなるなんてもんじゃないだろう。
怖いものないわ。そこまで公開されちゃったら。
ただ王妃であるというプライドだけが、彼女を支えていたんだと思う。
それしかないわ。
それでもいつの間にか、民衆から憎まれ、悪の象徴のように扱われ、断頭の露と消える。
フランスでは死刑制度がなくなるまで、ギロチンによる死刑が当たり前だったが、これは人道的で苦痛を少なくする道具だったと言われている。
果たしてそうであったのか。
それでも王妃は毅然として、その最期の瞬間を迎えた。
最初は凄い楽しみにしていったが、ずい分昔のことになるので、とにかく驚くほどの田舎だった。
これで、それまで持っていた幻想というものが全て吹きとんだ。
今は観光地として整備されているので、そういうこともないんですけどね。その頃はまだ、そういう場所ではありませんでした。
それでもツアーに申し込んでパリを訪れると、入ってしまう。
今、初めて行く人には華やかな街で、宮殿も素晴らしく来てよかったという場所です。
ここでマリー・アントワネット、ルイ13世~、多くの貴族が暮らしていたと思うと感慨は違うでしょう。
しかし、ここはなかなか作られた時から残酷な場所でね。
元々ルイ13世がパリのうるささを嫌い、王の威厳を見せつけるために作ったというところです。
だから、王の生活は全て公開、王とはこういう生活をしていると庶民に見せつけるためのもので、色々な暗黙のルールがあったそうです。
そして時は経ち、あのマリー・アントワネットがオーストリアから嫁いできます。
それまで質実剛健の家族に囲まれ、家族と過ごすことが多かったマリー・アントワネットにとって、ヴェルサイユは驚きの連続だったそうです。
食事の風景を監視されている。出産も公開だったという話は聞いていたのですが、これにマリー・アントワネットは拒絶反応を示すのですね。
とにかく、食事してる風景まで見せるということが、嫌で嫌でしょうがなかった。
この宮殿には700室以上あり、1000人以上の貴族が暮らしていたが、暮らしやすい場所かというと、そうではなかった。
とにかく大きいから痛むのも早い。そしてどんどん暮らしづらくなる。
テレビで知って驚いたのが、その食事風景を見せることを嫌がったマリー・アントワネットに待っていたのは、生意気なオーストリア女に対する仕返しだった。
服も毎日、お付きの者が着替えを手伝うのではなく、住んでいる貴族が数十人かわるがわる、その日の衣装を手渡してマリー・アントワネットに着せる。ここで、私が先よ…という戦いまで起きるわけだから…その間、マリー・アントワネットは裸同然の恰好で待っていなければならない。
これが毎日、眠るまで続くわけだ。
でも最大の仕返しは出産のときに訪れる。
欧州の習慣として、子どもの入れ替えがあったりしてはいけないので、出産を貴族が見守るというのはある。
だから、数人のそれなりの地位のある人が見届けたと思っていんだけど、これが違う。
ここぞとばかり、宮殿に住む貴族、外から来る貴族が、陣痛で苦しんでいる最中に山のように寄ってくる。
机や棚に乗って見えやすい場所を確保する。
出産時にこれをされたら…もう見せ物扱いです。
それ以上に、屈辱だ。
しかもこのときは一般市民も入れたそうだから…一大イベントの見せ物になってしまった。
女は普通に子どもを産んでも強くなる。
見せ物にされながらの出産なら…強くなるなんてもんじゃないだろう。
怖いものないわ。そこまで公開されちゃったら。
ただ王妃であるというプライドだけが、彼女を支えていたんだと思う。
それしかないわ。
それでもいつの間にか、民衆から憎まれ、悪の象徴のように扱われ、断頭の露と消える。
フランスでは死刑制度がなくなるまで、ギロチンによる死刑が当たり前だったが、これは人道的で苦痛を少なくする道具だったと言われている。
果たしてそうであったのか。
それでも王妃は毅然として、その最期の瞬間を迎えた。