紅白の季節ー中森明菜に飛び交っていたサプライズ出演情報

2013-11-03 20:47:28 | ニュース
 もう3年は活動停止中のようだ。

 その中森明菜に紅白で復帰という情報が9月から流れていた。実現すれば11年ぶりの出演になる。

 同じ80年代組の小泉今日子が連続れテビ小説「あまちゃん」出演で刺激を受けた明菜が筋トレをしているというニュースは今年前半から流れていた。

 80年代アイドルの2人が出演すれば目玉にはなる。

 しかし、今でも千葉の病院に通い、集中的に治療を受けているらしいし、ファンクラブの会報に誕生日頃の
近況が出たが、明るいニュースはない。

 3年休んでいるわけだから、特にプロモーションしたいアルバムも曲もない。

 昔もなんかのコンサートで歌っている途中で息切れがして倒れこみそうになった…なんて報道もあったな…とふと思い出した。

 紅白は生だから失敗しても取り返しようがない。

 一般でも体調の悪い時は暑い時、寒い時は体調を大幅に崩しかねない。

 まして3年ぶりの出演となれば本人のプレッシャーが大きいだろう。


 なにも年末に無理をしなくても…本格的に元気になってからでもいいのでは?と思うが、早い復帰を願うのがファンだろう。


 1番問題なのが、ボイストレーニングをしているか?だろう。


 ただこういうニュースは不安を煽っておいて実は…という結果が出ることがあるから…最終的に出演者が発表されるまで事実は全く判らないというところなんだろう。



大久保清、その人生は精神的に大人になれず、希代の殺人鬼となる

2013-11-03 06:22:44 | 日記風
 大久保清は日本で女性を殺した多く殺した殺人犯として名をはせている。


 urban-legend.tsuvasa.com(出典)
 逮捕時の写真(真ん中)
 

 1935年、群馬県に生まれる。
 8人兄弟の三男に生まれる。
 彼は純粋な日本人かと思っていたが、日本人の父とロシア人の血を引く母に過保護にされて育つ。
 1つ上の兄とは仲が悪く、のちまでその関係の悪さは尾を引く。

 彼が犯罪に手を染めたのはかなり早い時期だ。事件と仕事等の経歴をまとめると

 46年 小学校時代は成績がよくない。そしてこの年ですでに養女を麦畑に連れ込んでいたずらをしている。
 中学に入ると闇屋を手伝う。
 高校は定時制高校に通っていたが除籍になる。
 52年 東京都板橋区の電器店に住み込みで勤めるが(訂正 父と兄が戦争に行き、家が清を養いきれなくなったため、東京の兄妹を頼り、上京する)女湯を覗き、現行犯逮捕され、解雇される。これが最初の犯歴となっている。
 53年 実家に戻り、ラジオ修理販売店「清光電器商会」を開業。客とのトラブルが途絶えず、仕舞には同業者から部品を万引きして逮捕される。これに関しては父親が損害賠償をして示談となり、不起訴処分となる。
 55年20歳の時には、大学生になりすまし、伊勢崎市の17歳の女子学生を強姦する。初犯のため、懲役1年6か月執行猶予3年になる。
 同年には再び、強姦事件を起こす。未遂に終わるが、3年6カ月の実刑判決となり、刑務所に入る。
 59年 模範囚であったため刑期を6か月残し、出所。その反面、川でおぼれた児童を助け、表彰されもする。
 60年 全学連の活動家のふりをし、前橋市の20歳の女子大生を家に連れ込んで襲うも、悲鳴で家族が気付き未遂に終わる。
 このときも示談となり、不起訴処分となる。
 62年に結婚。犯歴があることは黙ったままだった。
 63年長男誕生。谷川伊凡のペンネームで詩集「頌歌」を自費出版。その後に牛乳屋を始めるが、牛乳瓶2本を盗もうとした少年の兄に示談書を無理に書かせようとし、恐喝及び恐喝未遂罪で逮捕。懲役1年、執行猶予3年の刑になる。
 妻に犯歴を知られ、牛乳屋も業績不振になる。この年には長女も誕生している。
 
 ここまでで、十分、なにをやってるんだという慌ただしい人生を送っている。行動的と言えば滅茶苦茶行動的だ。そして懲りてない。

 しかし、歴史に名を残す事件はこの先始まる。

 66年 高崎市の16歳の女子高生を車内で強姦。ここから自らを作家と名乗り出す。
 67年 前橋市で20歳の女子短大生を車内で強姦。強姦致傷で逮捕。大久保は合意の上だと主張するが、懲役3年6か月になる。その前に起こした恐喝事件の執行猶予も取り消され、懲役4年6か月となる。
 71年 出所。妻との復縁話も出るが、兄が反対し、白紙に戻る。
     室内装飾品の販売を始めるという理由で「マツダ・ファミリアロータリークーペ」を親に買い与えられる。

     ここから初めて、ベレー帽にパルシカを着て自称画家を名乗り「絵のモデルになってくれないか」と約1000人以上の女性に声をかける。

 彼のロシア人の血を引く甘い顔と巧みな話術で150人を車に乗せ、10人前後と関係を持つにいたる。
 その内、彼を疑った女性をそのあと殺害し、遺体を山中に埋める。約48日間の間に8人を殺す。
 73年死刑判決を受ける。
 76年 死刑執行。

 被害届を出さなかった女性もいると見られることから、本当の数は未だ不明である。
 
 この当時はマスコミが拘置所等にいる犯人の写真を撮ることができたようで、窓際に大久保が立つと写真を撮ったりしていた。

 どこに埋めたなど、犯行を喋ることは中々しなかった。

 が枕元に殺した女性が「私のことを早く言って…」と夢に出てきて眠れなかったこともあり、取調官に訴えている。
 そのわりには最後まで謝罪、反省はしていない。

 親に溺愛されたというより、きちんとした躾がされずにいたと言われる(現在では〈過保護は虐待と同じ〉といわれる)
 36歳になっても母は清を「ぼくちゃん」と呼び、孫よりも彼を可愛がっていた。

 8人も兄弟がいて、彼だけがこうなるというのは、母親との相性がよほど良かったのか…。


 ただ家系を遡ると、母方の祖母は、賭博と傷害の前科がある。祖母の弟は窃盗、強盗、殺人を重ねて獄死している。母方祖父も賭博の前科があり、母の異父弟の1人は傷害事件を起こしている。

 父方は、犯罪歴のある者はいないものの、女癖が悪く、大久保の妻に手を出していた疑いがあるらしい。また二男の息子の初婚、再婚相手にまで手を出していたという記述もある。

 そういう、母親が不安定な状態で育ち、そのよりどころとなったのが、息子の中でも繊細で受け止めてくれそうだったのが清で、彼にすがるようになった可能性は否定できない。
 でも子どもは子どもだから、それを受け止めきれず、父親の女癖の悪さも見て育っているわけだから、育った状況としては最悪だったと言える。

 ある種、親に対する無言の復讐が一連の事件に発展したと考えられなくもない。

 そのわりに控訴をしていない。本人がなにを言っても信じてもらえないという気持ちがあったようだ。

 根っからの悪人というより、善悪や人を信じるということが精神的な面で大人になりきれていなかった、衝動的でどこかで親を恨みながら親を頼るというところがあったのかと思う。

 彼自身もある種の犠牲者だったのかもしれない。

 しかし、犯した罪は罪だから、そこに弁解の余地はない。

米国初の大統領暗殺の犠牲者、リンカーンの最期

2013-11-03 00:55:54 | 歴史
 米国はどんなテロにも屈しない。それが9.11からの方針だ。
 だが、これの困った所は、例えばゲリラやテロが出る国に行く米国人にも通じる。だから誘拐されてもFBI、家族も一切の犯人との接触を禁じられている。
 唯一交渉人が交渉にあたれると言うことになる。

 そんな大国になった米国には過去に大統領の暗殺という悲劇がある。

 有名な所ではJFKだが、噂によると今出回っている暗殺時の様子もカットが入っており、事実が報道されていないという話もある。

 そのJFKより先、暗殺されたエイブラハム・リンカーンがいる。米国で初めて暗殺された大統領でもあある。

 「奴隷解放の父」と呼ばれている彼だが、最初から奴隷に対して特別の思想を持っていたわけではなかった。
 彼の成長過程で育まれて行ったもののようだ。

 それほど、白人と黒人と言うのは米国では違う人種として固定観念が定着していたのだろう。



 この時代はもちろん1861年代だから、テレビもない。映像がない。やっと写真を撮るカメラが普及し始めたばかりの時代だ。と言っても今のように簡単に撮れたわけではなく長い時間がかかった。

 たいがいのリンカーンの写真が気難し顔をしているのは、撮影に時間がかかり過ぎたせいだと言われている。本来の彼はもっと陽気な人間だったらしい。

 リンカーンの両親は学のない買いたく農民だった。リンカーン7歳のとき、貧困と奴隷制度のせいで奴隷制度のない自由州のインディアナ州スペンサー郡へと移った。
 とにかく土地がなく獲得が困難だったとらしい。
 
 と言っても、一時はケンタッキー州に身を置き、そこで父は陪審員になり、土地を有していた時代もある。この頃は裕福な部類だったらしいが、のちに土地の権利証が偽造だったため、全ての土地を訴訟で失うことになった。

 元々父からして、厳格な道徳観を持ち、飲酒もダンスも、奴隷制度にも反対する人物だったようだ。

 リンカーンは、この頃、白人と黒人の関係性に目覚めることになる。

 

 最初から黒人も白人も一緒に過ごそうという考えはなかったらしい。

 ある時の演説では、両者は別れて暮らすべきだと言っているものもある。

 そのリンカーンが黒人解放運動に積極的に参加するようになったのは、実体験がものを言ったようだ。

 ある時親友の家に招かれ、数日滞在するが、その家では黒人を奴隷として平気で使っていた。それを体験し、徐々にこれはおかしなことだと気付き始めたらしい。

 そして奴隷解放を売って得て奴隷解放の父呼ばれ、南北戦争が起き国家分裂の危機を迎える。

 
 この戦争により、大統領任期中、多くの人に憎まれ少なくとも5回は暗殺の危機にさらされている。中には同じ党の党員が狙ったこともあったそうだ。

 のちに大統領暗殺犯になるブースが愛する南部のために立ちあがったとき、南北戦争は4年間の飢餓のため終結に向かっていた。

 最初に立てたのは誘拐計画だった。

 
 リンカーン大統領の身が危ないと思われ出した頃だ。
 リンカーンは1人で馬に乗ってホワイトハウスに通っていたが、ある日の帰り道一発の銃声が彼を狙った。帽子に穴が開いただけでこのときは済んだが、4人のボディーガードが着くようになった。 

 暗殺に成功したブースははシェークスピア俳優で正式な名前はジョン・ウィルクス・ブースだった。

 誘拐計画の段階では多くの人間が参加を予定していたが、がそれがのちに暗殺計画に変わるにつれ、パウエル、アッツアーロット、ルイス・メアリー、サラット等だけになっている。

 彼は南部を守るため、リンカーンの暗殺と国家転覆を狙った。

 しかし実際暗殺したブースも1度病院を慰問する予定の大統領を狙い、予定が急きょ変更されたため、一旦は中止している。
 そしてグローバル劇場に「アラジンと魔法のランプ」を観劇に行くと聞き、そこを暗殺の場とした。

 しかし突然予定が代わり、フォード劇場で妻、メアリー・ドッド・リンカーンや友人と「われらのアメリカのいとこ」の観劇中にボックス席に乱入したブースによって銃で撃たれた。
 このとき、護衛は4人ついていた。

 リンカーンを撃ったブースはすぐに劇場の舞台に駆け上がると
 「暴君はかくのごとし」
 というような内容を叫んだが、ほとんど聞きとることはできなかったそうだ。

 リンカーンはすぐに近くの宿屋へ運ばれるが、すでに危篤状態だった。

 リンカーンはの背が高く普通のベッドからはみ出すから斜めに寝かされた。
 彼はマルファン症候群だったため、背が高く、手足が長いと言われている。 

 劇場では1500人以上が目撃していたはずなのに、犯人については全く証言が一致しない。それほど急なことで観客が動転していたのだろう。

 ブースはそのまま逃げるか、途中落馬したのか、馬から飛び降りたのか骨折した。

 そしてリンカーンはそのまま息を引き取った。

 そして後はブースを逮捕することに全力が注がれた。
 彼は松林に隠れて、仲間が食事などを差し入れたが、彼が欲しがったのは新聞だけだったという。
 リンカーンがその後どうなったか知りたかったのだろう。

 そのあと、小屋に逃れるが、ブースの首には賞金がかかっていたため、密告により追い詰められた。
 小屋の中でコ―ベット軍曹が首を撃ったが、そのときはまだ死んでいなかった。
 ブースは「祖国のために死んだと母に伝えてくれ」と言い残し、そのあと小屋は燃えあがった。

 そして彼は農場まで逃れてそこで亡くなった。

 この時代、暗殺は重大事件だった。そして初めての犠牲者だ。その為、この記録を残すべきだとして、まだ残っていた仲間は捕らえられ、死刑宣告が告げられた。

 そして初めて死刑の様子が記録に残される。

 犯人が首をつって行く様を全てを写真でとらえた。

 このとき、初めて女性死刑囚が出た。


 大統領暗殺の史上最悪の男として名を残したブースだが、何故か、リンカーンが演説をする様子を1度だけ収めた写真にブースも一緒に写っている。

 暗殺する者とされる者が写真に残るというのもずい分奇妙な話だ。特に偵察に言ったというわけでもないようだ。


 のちにJFKが暗殺されるが、こちらもテレビカメラの前でパレードをしている最中に殺害されている。

 リンカーンもまた、当時は人が集まる劇場で俳優によって殺害されるという、いかにも派手な暗殺をされた。

 米国はやるなら…こういういかにも、という派手なやり方が好きなのだろうか?

 リンカーンの受けた傷は現代であれば十分治療可能なものだったらしい。あの時代としては手の施しようがなく、生命を落とした。

 そして永遠に神格化されことになった。


 全く関係ないが海外ドラマ「BONES」に出てくるFBIのブースはこのブースの子孫という設定を持っている。