「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

3月19日(水)14時~・3月18日(火)20時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

「生きていくあなたへ」 日野原重明先生から学ぶ!

2021年01月26日 08時33分11秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

最近体調が悪く休みに本を読んでいることが多かった。

「生きていくあなたへ」この著書の中には、

2017年7月18日に105歳で天国に召された、

日野原重明先生がどうしても、私たちに遺されたかった言葉が収められています。

びっくりしたのですが日野原先生はお若い頃、赤面恐怖症に苦しみ克服されているのです。

森田先生の講話と錯覚するほど程お話が似ています。

以下「生きていくあなたへ」より

そして、ありのままでいるためには、もう一つ大切なことがあります。

無理をしない「あるがまま」でいるということだと思います。

ありのままでいられないときというのは、こうありたいという理想の自分や、こうあってほしいと願う環境と現実の間に差が生じ、悩んでいるという場合が多いのではないでしょうか。

頑張って精いっぱい生きている自分を受け入れ、その中で一生懸命やり続ける。

そしてうまくいかない環境をも受け入れるのです。

自分の努力で変えられることと、どんなに頑張っても変えられないことがある。

その変えられない現実の中で、真心をこめて生きたとき、きっと神様が働いてくださる。

そう信じて委ねるのです。

日野原先生も、かつて思想の矛盾に苦しまれ私たちと同じ経験をされたのではないでしょうか?

生活習慣病という言葉を社会に浸透させ人間ドックを推奨されるなど常に新しい医療の在り方と新しい自分自身と出会う努力を続けてこられた先生のお話を直接聴きたかったです。

先生は105歳になられても、講演で上から目線にならないようユーモアを大切にされていたそうです。

一緒に笑いあうというのは、心と心の壁をとる、一体感を生んでくれるものだといわれています。

先日寄り添い感の欠如について投稿させていただきましたが、自助グループ活動での大切なヒントをいただいた気がする一世です。


※今日の心に響く言葉

「日野原重明先生・医師・著書生きていくあなたへより抜粋」

過去の自分にこだわり、自分のやり方はこうだとか、自分はこういう性質だ、ということを決めずに過ごしています。

だから毎日が自己発見の連続なのです。

その中には、日常の小さなことから、人生観をかえるような重大なものまで様々あるのですが、特に大きく自己を見つけられたのは、

苦難にあったときや病気を患ったときに多かったように思います。



2021・1・26 一世

 


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幼弱性はすばらしい。

2021年01月25日 08時02分46秒 | コラム 

子供が大好きな大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日あるアーティストが対談で、アーティストの資質及びアーティストであり続ける秘訣について聞かれて、未成熟な部分を残すことと答えていた。

なるほど!

つまり、集談会でよく言われた幼弱性を克服するとか、人間的な成長とは逆の発想である。

恥ずかしながら来年還暦を迎えるわたくし一世は、3歳の孫と喧嘩して娘にたしなめられるほど幼弱性が強い。

先日も一回り下の小賢しい上司にそろそろ大人になってくださいとため息交じりに言われた。

やかましい、もう遅いやろと心の中でつぶやいた。

大人になろう、幼弱性を克服しようと頑張って59年。

自信喪失まっしぐら、自己否定の塊になって動けない!

最近子供の自分の部分で生きようと決めたとたん、ずいぶん楽になりました。

楽になっただけではなく、若い友人が増えたし年配者から学ぶことも増えた。

何よりも本来の好奇心がわいてきて元気になりました。

幼弱性とは、生きる力そのものではないか!

そういえば私の尊敬している集談会の先輩もアイドル好きである。

アイドルの話で集談会が随分楽しい会になった。

神経質の皆さん幼弱性を大切に残しつつ社会人として必要なことをぽつぽつやりましょう。

余談だが高名な禅僧の良寛さんが晩年幼児と、まりをついて遊んでいる肖像画が微笑ましい。

私も良寛さんのようなお爺さんになりたい。

 

1月25日 一世


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寄り添い感の欠如はどこから生じるのでしょうか?

2021年01月23日 06時06分58秒 | コラム 

今日は少し過激な、大阪水曜ほっと集談会一世です。

本日申し上げることは、私一世の個人的な考えであることを初めに申し上げたい。

最近コロナ禍による集談会の休会が増えている。

社会的にも閉塞感が心の不安を生み更に雇用不安が追い打ちをかける。

神経症や鬱は、確実に増えているに違いない。

本来であれば、会員数が増えても当然である。

しかしながら現実は逆である。

発見会の会員数が2千人を割り幹事、世話人の成り手がないということを最近よく耳にする。

特に女性会員、20代~40代の若者世代の会員の減少が、深刻である。

何が原因なのか?

現場で毎月集談会を開催していて思う事のひとつは、集談会は森田理論を学ぶことが第一目的の場所なのか?という疑問である。

さらに森田療法は理論なのか?という素朴な疑問も感じている。

以前にも書いたが森田療法の療には、癒しという意味がある。

森田療法から理論を切り取った結果、本来の癒しはどこに行ってしまったのか?

これは極論であると承知している。

しかし理論である以上理論に長けている人間が上で、理論を知らない人間が下という構図になる。

自助グループであるはずなのに、見えない序列を感じることがある。

発見会とは本来そのような場所なのでしょうか?

入会当時私の参加していた地方の集談会は、毎月30~40人の参加者で活気にあふれており、学習の後の懇親会も大盛況であった。

一泊学習会が全国で実施され野外活動などレクリエーションも多かった。

森田療法の専門の講師も少なく幹事同士が話し合いを重ね、手探りの中で運営されていたと思う。

同じ苦しみを体験した人間として、まず寄り添い、共感がありその次に理論学習があったように思う。

私は40年前の事を現在に当てはめるつもりなど、まったくない。

重ねて申し上げる。

私は昔はよかったなどと言うつもりも、ノスタルジー的な感傷もない。

理論学習の環境は40年前とは雲泥の差である。

しかし時代がどれほど変わろうとも、発見会の基本は集談会での寄り添いであると、わたしは思う。

人生100年の時代に於いて50代の私などは、若輩者である。

今まで、発見会を支えていただいた団塊の世代の会員の皆さんには、感謝の言葉しか見つからない。

しかしそろそろ次世代の集談会の運営モデルを私たちが、自ら試行錯誤して創らなければならない時期が来ているのではないか!

そのためには、もっと私たち自身が声を挙げるべきではないか?

私たちのサードプレイス(職場、家庭以外の癒し空間)である集談会について今年本気で議論を深めたい。

1・23 一世

 

 

 


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大阪水曜ほっとオンライン集談会報告

2021年01月21日 21時57分39秒 | 集談会日記

 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日1月20日は、大阪水曜ほっとオンライン集談会でした。

平日の昼間にも関わらず、12名の方が参加していただきました。

最近女性の参加者が増え、話題も豊富で本当にうれしいです。

発見会本部の紹介で初めて参加された方もありました。

コロナ禍の中、皆さん本当に孤独な気持ちや不安と向き合いながら生活をされているのですね。

私も心が落ち込んで、一番苦しかった時期を思い出し、こみ上げてくるものがありました。

休会されている集談会も多いというお話を聴きますと何とかオンラインで開催できていることへの感謝と、いつになれば対面開催が出来るのか?

不安な気持ちも募ります。

自然に服従し境遇に従順なれ!森田先生の声なき声が聴こえてきそうです。

2021・1・21 一世

 

OGPイメージ

社会の混迷に「漠然とした不安」を抱く人が増加中 「あるがまま」を説く森田療法が今、注目されるワケ - 毎日新聞

[Sponsored Content]NPO法人 生活の発見会

毎日新聞

 

 

 

 

 


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「コロナ渦と共に、歩む人生・・・後編」

2021年01月18日 11時46分08秒 | コラム 

2021年 1月18日

大阪水曜ほっと集談会 

副代表幹事 てっちゃん


今週のある日、いつものように気持ち良く熟睡し、朝を迎えました。

寝起きに、突然、妻が私に「私の疲れの原因はすべてあんたや!」と言いました。

あまりの突然の発言に、言葉を失い、約10分ほど考慮していました。

そして、ゆっくりとその発言の真意を聞きました。

 そうすると、このコロナ禍に於いて、私の感染対策が出来ていない。

大阪も緊急宣言が発令される予定であり、大阪も爆発的な感染拡大(日によっては、500人~600人感染者が急増している)が続いている。

そして、身近な人にもそういった感染者(陽性者)の情報が聞かれるようになり、徹底的な対策をしないと、危険であると、妻の感染の恐怖はマックスに至っているようだ。

しばらく言い合いになったが、すぐに白旗をあげて、以下の行為をすることで手打ちをしました。

「外出から自宅に帰る際、玄関の前にて指を中心にジェルで消毒をしてから、おもむろに玄関ドアーを開けて入る。

入ると同時にズボン等に噴霧をかける。

その後、コートを決まった場所に吊る。手袋していた場合、指定の場所に手袋を吊す。

その後、洗面所にて石けんで手を丁寧によく洗う。」この順序をしっかり守ることを約束することで、妻の怒りは、ある程度収まりました。

 同居中の高齢(90歳)の義母へ妻の献身的介護は、2年を過ぎ、特に昨年からのコロナ禍で、妻の疲れは倍増しています。

(我が家にて、義母と我々夫妻の3人)

コロナ感染から1年近く経過し、コロナ疲れが蓄積する中で、ある疫病の専門家の意見によると、両極端になる人が増えているという。

  • 過剰に不安に陥るか 
  • 楽観バイアスが働くか(特に若い人に多く、自分は大丈夫だ。自由に動きまくって陽性になっても、無症状なので感染を拡大させる。)

多くの人が感染当初から頑張り過ぎて、過剰反応を続けてきた。

この状態がさらに続くことで起きる弊害が心配される。

なぜ過剰反応を続けなければならないのか?

人間は、そういつまでも緊張の中で頑張れるものではない。

私の妻も、性格的にも純粋に利他的に出来る人間であるだけ、老々介護から燃え尽き症候群的に、斃れる可能性(長期の介護による共倒れ)も見いだしていて、心配の種は尽きません。

出来るだけ、妻の要望・要求に従いながらも、こちらのストレスもうまくコントロールしていくことが肝要(妻もそうするように薦めています。)であると感じています。

このように、緊迫の非常事態状況においても、楽しみ方の工夫が大事です。・・・つまり、生き甲斐を見いだす「ユーダイモ二ア」※を求めて、自分の中でコツコツ積み重ねて進歩をしていったり、熱中できる世界を持つことが大事であると考えています。

 

「ユーダイモ二ア」(心理学用語)とは・・・自己実現や生き甲斐を感じられることで得られる幸せのこと。

苦難と試練が幸福度をよりアップさせる。

『天命に生きる人が増えれば社会は変わる』

資本主義と工業化・情報社会の先にやって来る『共感社会』『共感資本主義』とは、われわれがコロナ禍の体験を経てコロナ以前に戻ることがないとするなら、森田的にも、不安神経症、普通神経症、強迫神経症が増加する中、共感と、自覚、体得(利他心の発露含む)をなすことによって、新しい社会(共感社会)を構築していく使命が与えられていると解釈したい。


皆様一世です、久しぶりのてっちゃんの投稿いかがでしたか?

時代を読み解く深い眼識と家族愛を感じます。

是非発見誌に掲載を依頼したいと思います。

 


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