大阪水曜ほっと集談会一世です。
昨日の朝刊でIT先進国のスウェーデンがタブレットに代表されるデジタル端末を使用した教育から紙とペンに回帰した教育方針に転換するという。
理由は学力の低下にあるらしい。
昭和の時代に小学校や中学校に通った私は、わからないことがあると辞書や地図を手に悪戦苦闘していた。
知らず知らずのうちに漢字を学び自分で考える癖がついた。
面倒で時間も掛かったがその分学んだことは今でも忘れない。
最近わかったが、非効率で、貧しい生活により知らず知らずのうちにネガティブ・ケイパビリティが養われたと思う。
ネガティブ・ケイパビリティとは、性急な証明や理由を求めがちな現代人に対して、分からないことを分からないまま、宙ぶらりんの状態で受け入れ、耐え抜く能力を指すらしい。
私が自助グループに初めて参加した45年前は森田関連の図書も少なかった。
もちろんパソコンもスマホもなくYouTubeもネット検索もできない時代である。
図書館や本屋さんそして新聞が唯一の情報源であったような気がする。
ようやく探し当てた森田博士や水谷啓二先生の言葉の一言、一言が脳に染みこむような感覚であった。
あの時代に戻ることは出来ないが、症状という非効率の中に身を置くことは、決して無駄ではないと思う。
但し期限付きで有ることが望ましい。
私たちは、ネガティブ・ケイパビリティを内包しているといえないだろうか。
森田を習うとは、ネガティブ・ケイパビリティを生きるという事ではないか?
私は二人の娘からネガティブ・ケイパビリティを学んだ。
思春期の彼女たちの壁であり、今風にいえばフルボッコ状態であった。
そんな二人の娘も独立し、ジイジの称号を貰った。
会社での肩書きより自慢できる日々である。
2024/10/23 一世