同時進行で2ヵ月位過ぎた頃から空手の頻度を上げたくて、結局少林寺拳法は1年で退会して空手の稽古をMAXにしての再出発です。
しばらくジムも休んで空手だけの稽古に集中しました。
○○会館の空手の道場は稽古が週に3回あって、何とか仕事を調整して週3回通いました。
ほぼ100パーセントの出席率でした。
私が入門して時期は名古屋支部の全盛期、すごい先輩もいましたが、人数も溢れんばかりで外に飛び出して基本をしなくてはいけない位の時代で人が多いがゆえに、結構な人数の人として恥ずかしい人もまあまあの人数が存在しました。
その道場では色々な事を学びました。
残念なのが、黒帯を取ると一度ほど黒帯姿を一度だけ披露に来てその後来なくなる人がなぜか多くて不思議でした。
空手は黒帯を所得してからの稽古心構えが大変ですから、その覚悟が無い方達がその感じにしたのだと思います。
後から思えば私の体験した色々な空手の中で一番初段取得がしやすい流派でした。
一年たって二年たって、当然そこそこ上手くはなりますが、一つ問題があって、当時その空手の道場は全国規模の流派で名古屋では審査を行っておらず審査は級審査から大阪の関西本部で受審しなくてはダメで、しかも日曜日です。
少林寺拳法の時と同じで私の仕事では基本的に不可能でありました。
本当に強い先輩達はずーっと稽古を休まず続ける先輩たちで、その方達はとても尊敬出来ました。
指導方法は丁寧だった事、良い人にも出会った事、そこはすばらしい道場でした。
一度だけ無理やり仕事を休んで行った審査で先代館長に会えたことです。
審査のコンビネーションで「お前上手いな」と頂いた言葉だけが嬉しかったです。
当時結婚していて子供も生まれていましたので、仕事を趣味の犠牲にしないでほしいと嫁に言われ、その後審査を受ける事は2度とありませんでした。
それでも空手が好きで4年以上たって後輩もどんどん黒帯になっていきましたが、昇級は気にしないで稽古に励みながら、そこそこ技は上手くはなっていってましたので色帯でも後輩の黒帯を負かすこともありました。
たぶんこのまま、この道場に骨を埋めるまでやっていくつもりでした。
そんな頃、指導者のNさんが通っていたジムが改修で3ヵ月位閉鎖になるので、私の友人が経営をしているジムに紹介して欲しいとお願いされて、出来れば割引でお願い出来ないか?と私に頼んでほしいと言ってきました。
当時の私はNさんの事は尊敬していましたので、「わかりました」と頼んでみる事を了承しました。
(前出のジムのインストラクターの親友は、ジムを開設してオーナーになっていました)