Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

コラーゲン

2007-01-28 | 想い・雑感
消化と吸収
この言葉は中学校の理科の時間に学ぶ
小学校でも聞くかもしれない

人の体は口から食べたものから成り立っているわけだが
食べたものがそのまま体の一部になるわけではない
消化酵素によって細かく分解される
つまり消化されることによって
はじめて腸から吸収されるようになるのである

いろいろとキャッチコピーに使われているコラーゲンだって同じ
口からコラーゲンを摂取したら
それはタンパク質を分解する酵素によってアミノ酸にまで分解されて吸収される
吸収されたアミノ酸は体の需要に応じて
遺伝子から転写翻訳されてタンパク質を作り出す
人の体の20%はタンパク質で
その種類は10万種類にも及ぶと言われる

吸収したアミノ酸は必要に応じてこの10万種類のタンパク質へ振り分けられる
食べたコラーゲンから体のコラーゲンができるわけではないのである

中学で学ぶような基礎知識を持っていれば
キャッチコピーに踊らされるようなことも
少なくなると思うのだが

2007-01-28 | 想い・雑感
胡座をかいていると
我が家の猫がやってきて
足の隙間にその身を埋めた

犬派の私としてはいささか妙な気分だが
最近では猫も嫌いでなくなってきた

すやすやと休む猫
緩やかな心でじっと見つめていると
猫と自分の境界がどこなのか
曖昧となる

そもそも
いったいどこまでが自分というものなのか
考えてみると意外とそれもはっきりしないのだから
猫との境が曖昧になっても当然かな

枕教

2007-01-28 | 医療・病気・いのち
以前 霊安室でお経をあげられて
少し驚いた経験がある

しかし枕教として考えるならば
霊安室でも遅すぎるのかもしれない

もともと死にゆく人の枕元で
読経されるのが 枕教というらしい
ならば 呼吸や心拍という
生の証が遠のいていくときにこそ
読経されるのが望ましいのかもしれない

しかし現代日本に置いて
医療とお寺との間には区切りができている印象が強い

一人の方が亡くなるまでは病院で
亡くなった後はお寺などでと
完全にバトンタッチされるのだ

人を見送るときは
この世とあの世がオーバーラップする時
その時に両者の行き来がもっとあっても良いのかもしれないし
有る方が自然なのかもしれない