自分の最後を予感するようになったとき
自分がどうしてももう一度会いたいと思う人はだれか
それは それまでの人生が反映されるものであろう
その人の場合は
離れて生活していると言うこともあるのだろうが
東京で生活している息子だったようだ
術後2年ほどして
癌の再発を認めた
上昇する腫瘍マーカーをにらみつつ
主たる抗癌剤を使用し
CPT-11とシスプラチンの組み合わせで
一旦正常値まで戻った
その状態がしばらく続いたが
やはり再上昇に転じ
抗癌剤使用開始から1年2ヶ月経過した頃から
がくっと全身状態が低下した
なんとか通院で治療を続けていたが
ある金曜日の朝
本人から入院を希望する電話があった
入院して数日後
やや混迷した意識の中で
繰り返し呼ぶのは
息子の名前だそうだ
うわごとを聞くと
これまでの人生を回想しているようだと奥さんは言う
元気な頃の息子との一コマを
想い出しているのだろうか
旅立とうとするときに
家族が心から寄り添う
これまでのその方の生き様が
在り様が
人柄が
そこに集約されている
息子として
時には父親に反発したこともあるだろう
しかしやはり父として 男として 人間として認め
父親に対し深い愛情を持った息子
そんな関係になれたのは
父親 母親 兄弟 その他多くの縁に恵まれたからであろう
有り難き縁である
自分がどうしてももう一度会いたいと思う人はだれか
それは それまでの人生が反映されるものであろう
その人の場合は
離れて生活していると言うこともあるのだろうが
東京で生活している息子だったようだ
術後2年ほどして
癌の再発を認めた
上昇する腫瘍マーカーをにらみつつ
主たる抗癌剤を使用し
CPT-11とシスプラチンの組み合わせで
一旦正常値まで戻った
その状態がしばらく続いたが
やはり再上昇に転じ
抗癌剤使用開始から1年2ヶ月経過した頃から
がくっと全身状態が低下した
なんとか通院で治療を続けていたが
ある金曜日の朝
本人から入院を希望する電話があった
入院して数日後
やや混迷した意識の中で
繰り返し呼ぶのは
息子の名前だそうだ
うわごとを聞くと
これまでの人生を回想しているようだと奥さんは言う
元気な頃の息子との一コマを
想い出しているのだろうか
旅立とうとするときに
家族が心から寄り添う
これまでのその方の生き様が
在り様が
人柄が
そこに集約されている
息子として
時には父親に反発したこともあるだろう
しかしやはり父として 男として 人間として認め
父親に対し深い愛情を持った息子
そんな関係になれたのは
父親 母親 兄弟 その他多くの縁に恵まれたからであろう
有り難き縁である