日本語では主語を明記しないことが多い
それで不便は感じないが
動作の主体を明示しないことによって
責任の主体まであやふやにするのかもしれない
戦死
と日本語で表される内容を
英語では
killed in action
と表現されるという一文を読み
どきっとした
戦場に送られた戦士は
あるいは本土攻撃にさらされ命を落とした者たちは
戦争の中で自ら死を望んだわけでなく
killed 殺されたのだ
殺した主体は
相手国であり
戦うことを命じた自国である
誰が 何を したのか
誰が 何を どう 考えたのか
誰が …
政治の場面でも
司法の場面でも
そして私が身をおく医療の場面でも
常に問いかけ 確認する必要がある