末期の患者さんが
いよいよ明日までは持たないであろうとなったとき
「誰それが来るまでは何とか持たせてほしい」
という希望が家族から出されることがある
最後に間に合わなかった場合
その後の残された人生でそのことが
いつも引っ掛かりとなる可能性があるから
そういう希望が出されるのも分からぬではないが
一旦癌と分かれば
いつも別れるときには
これが最後と心を込めて会っておくしかない
特に遠方の人は
患者さんが急変すれば当然間に合わないのだから
なおさら一期一会の思いを強く持つ必要がある
そこができれば
最後に間にあうかどうかは
大きな問題ではなくなる
そういう私も
えらそうなことは言えない
手術が長引いて病棟へ戻るのが遅くなったとき
今夜はもう消灯時間を過ぎたからいいか
と病室を訪れずに済ますことがある
そんなときに
翌日には末期の方の意識がなくなり
二度とお話ができなくなっていることがあったりする
そのとき
やはり昨夜顔を出しておけばよかった
と思う私は
それまでに一期一会の精神を実践していなかったことになる
難しいものである
いよいよ明日までは持たないであろうとなったとき
「誰それが来るまでは何とか持たせてほしい」
という希望が家族から出されることがある
最後に間に合わなかった場合
その後の残された人生でそのことが
いつも引っ掛かりとなる可能性があるから
そういう希望が出されるのも分からぬではないが
一旦癌と分かれば
いつも別れるときには
これが最後と心を込めて会っておくしかない
特に遠方の人は
患者さんが急変すれば当然間に合わないのだから
なおさら一期一会の思いを強く持つ必要がある
そこができれば
最後に間にあうかどうかは
大きな問題ではなくなる
そういう私も
えらそうなことは言えない
手術が長引いて病棟へ戻るのが遅くなったとき
今夜はもう消灯時間を過ぎたからいいか
と病室を訪れずに済ますことがある
そんなときに
翌日には末期の方の意識がなくなり
二度とお話ができなくなっていることがあったりする
そのとき
やはり昨夜顔を出しておけばよかった
と思う私は
それまでに一期一会の精神を実践していなかったことになる
難しいものである