生きていると、毎日何らかの決断をしている。
朝目が覚めて、布団からいつ出るか。
朝食に何を食べるか、食べないか。
車で出かけるか、自転車か、バスか。
ラーメンを頼むとき、餃子も頼むか、焼きめしはどうするか。
などなど、あまり普段決断と思っていなくても、やはり進む方向は一つ選んでいる。これくらいだとどうということないが、ぐっとつまって、「どうしよう。」と悩んで出さなければならない決断もある。決断から逃げ出すというのも一つの選択肢だが、あまり逃げ出していいことはないと感じる。ぐっと踏みとどまり、右か左か決め、決めたら進む。逃げてもいつかまたその問題がつきまとってくる。多くの場合さらに問題が複雑になって戻ってくる。
インフォームド・コンセントという言葉はほぼ市民権を得てきたような気がする。多くの場合治療方法を選択するときに、方法、危険性、他の選択肢など情報を得た上で、ある方法を納得の上で選択するという意味合いになる。つまりどの治療を受けるか、あるいはどの治療も受けないか、決断するということだ。
つらい場合もあるかもしれないが、決断から逃げ出しても問題が解決しないのは明らか。それに何らかの決断を下さないでいると、間違いなく後悔する。まがりなりにも決断すれば、多少の後悔が残ることはあっても、ある意味納得できる。
まさに、人生。
朝目が覚めて、布団からいつ出るか。
朝食に何を食べるか、食べないか。
車で出かけるか、自転車か、バスか。
ラーメンを頼むとき、餃子も頼むか、焼きめしはどうするか。
などなど、あまり普段決断と思っていなくても、やはり進む方向は一つ選んでいる。これくらいだとどうということないが、ぐっとつまって、「どうしよう。」と悩んで出さなければならない決断もある。決断から逃げ出すというのも一つの選択肢だが、あまり逃げ出していいことはないと感じる。ぐっと踏みとどまり、右か左か決め、決めたら進む。逃げてもいつかまたその問題がつきまとってくる。多くの場合さらに問題が複雑になって戻ってくる。
インフォームド・コンセントという言葉はほぼ市民権を得てきたような気がする。多くの場合治療方法を選択するときに、方法、危険性、他の選択肢など情報を得た上で、ある方法を納得の上で選択するという意味合いになる。つまりどの治療を受けるか、あるいはどの治療も受けないか、決断するということだ。
つらい場合もあるかもしれないが、決断から逃げ出しても問題が解決しないのは明らか。それに何らかの決断を下さないでいると、間違いなく後悔する。まがりなりにも決断すれば、多少の後悔が残ることはあっても、ある意味納得できる。
まさに、人生。
どの治療法も決断できない。いくら考えても決断できない。辞めるともするとも言えない。
それで、進行している。
このまま死んでしまうのかな、と思いながら。命がけで残せる物をさがすが、それも見つからない。
決断・・・、毎日私を苦しめる言葉です。
人間は、自分で意識する世界より、無意識の世界の方がずっと広いといわれています。そして無意識の世界が納得していれば、悩むことなく人は進んでいくのだと思います。「よくそんな決心がついたね。」と言われたとき、言われた本人はそれほどの決断と思っていないことも多いですよね。
mikiさんが、提示された治療法の選択肢のどれも選ばないと言うのは、きっと「やめた方がよい。」とずっと奥にある意識が訴え、決断しているのではないでしょうか。
しかし、腫瘍は確実に大きくなり、圧迫が始まると、どんなに苦しいものなのか、経験があり、知っているのです。
やめた方が良い、と思いながら、その苦しみの日に近づいていると思う恐怖があります。
お腹の中で腫瘍が育ち、手術で取れない、どんなに苦しいことでしょう。
やめた方がよいけれど、そのままなら、先がもう見えている・・・。
生きたいから、複雑です。