~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~
講演 二
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
私たちは有難い存在の中に包まれているのです。
言葉を換えて言いますと、
私たちは神様の中に生きさせていただいています。
本質は神の御胸の中に包まれているのです。
神様が目覚めなさいとおっしゃるのは、
このことに気付きなさいとおっしゃっているのです。
「私の胸の中に帰りなさい」とは、
自分が現実に神の御胸の中にあることを
悟った時、神の御胸の中に帰ることができるのです。
この肉体の奥底に目に見ることのできない神我、
神なる我、つまり大いなる神の分け御霊が、
私たちのこの意識の中にいて下さるのです。
自分が神の御子であることを自覚し、
そして神の子らしく生きた時に、
夜休ませていただく時、神様に対して
「お父さん、今日は本当にありがとうございました」
と、心の底からその目に見えない神に対して
「お父さん」と呼ぶことができます。
それは、ごくわずかの過ちがあっても神様を
「お父さん」と呼ぶことはできません。
口で言うことは易しいのですが、
心の底から「お父さん」と呼べる日々を
積み重ねることです。
そのためには神の子として恥ずかしくない
一瞬一瞬を努力することです。
「心行」の中に書かれていることが、
実は聖書の中の言葉と一致するのだそうです。
「イスラエルのダビデの子、ソロモンの箴言」
として書かれてあります。
「智慧ある女は家庭を築きます。
無智なる女はそれを自分の手で壊します」
せっかく結構な環境を戴きながら、
自分が無智なるゆえにその家庭を破壊します。
「神を恐れる人はまっすぐ歩くことができません。
神を侮る者は曲げます」
正しく生きる基準が分からなくなるのですね。
「無智なるものの口には傲慢の杖、
智慧ある人の唇は自分を守ります」
無智なる人、考えの浅い人は己を誇ったり、
己を自慢したり、増長慢になったりします。
同じ五官を与えられても、
その人に智慧があるかないかによって同じ口が
傲慢の杖になったり、
身を守る武器になってくれたりします。
~ 感謝・合掌 ~