浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

五十路過ぎ振り返り見ば
我が人生罪と恥との
積み重ねなり

「御垂訓」

2018-07-05 00:57:19 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


                    講演 一

「実践のなかにこそ生命が宿ることを知れ」

先の続き・・・

表面の教えでは親に孝行しなさい、
ご先祖を大事にしなさいと説きながら、
実践面では親が反対してもこの教えを広めなさいと説く宗教もあります。
表面の教えで親を大事にしなさいと親孝行を説きながら、
実践面で親に逆らう親不孝をさせていることになりますから、
これでは破壊の実践となり、幸せには繋がりません。

ですから正しい教えというものは、その教えそのものではなく、
日々の生活の実践のなかにその功徳があり
生命が宿るということですね。
どんな宗教も、宗教と名のつくものは全部、いいことを教えます。
夫婦は仲良くしなさい、親に孝行しなさい、ご先祖様を大事にしなさい、
確かにこれはいいのですね。

ところが、仏壇の中にご先祖様が止まる位牌、
つまり先祖様の止まり木を作らなくてはいけないと
教える宗教がありますが、
これは先祖供養のほんとうの意味が理解されていないのです。
もし私たちがこの世を去りまして、
仏壇の中の位牌ようなところに止まってしまいますと、
成仏はできません。
とまり木、そんなところに止まらされたら大変です。

私たちは素晴らしい光り輝く天上の世界、
光明燦然と輝く喜びと安らぎと調和に満たされた世界へ帰ってこそ、
ほんとうの成仏ができます。
それはこの三次元の世界とは全く質と次元の違う世界です。
私たちはその世界から、
この地上の世界へ自分の魂の修行に出させてもらっているのです。

ですから先祖供養といえば、
「拝みなさい、物を供えなさい、護摩を焚きなさい、
いい戒名を付けなさい」と教えられますが、
これはあくまでも供養の手段でしかないのです。
では、目的は何かということですが、先祖供養の目的は、
ご先祖様にあの光り輝く極楽の世界へ帰っていただくことです。

この世に思いを残しますと、
その思いによって自分の心がその場所にとどまります。
私は死んだら仏壇の中に祀ってもらおうとか、
お墓の中に入れてもらおうと思っておりますと、
必ずその場所に行ってしまいます。
その場所は極楽とはほど遠い場所です。
極楽とは素晴らしい世界であり、その世界へ帰っていただくのが、
私たちが先祖供養をさせていただく究極の目的であるはずです。


                 ~ 感謝・合掌 ~




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