浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2018-07-27 01:42:06 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 二
 
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
「謙虚であれば智慧は容易に得ることができる」
謙虚を売り物にしてはいけないと注意されますが、
私は一円もお金を戴いておりませんから、
謙虚は売っておりません。
もし報酬を頂戴して
「私は未熟者です。至りません」といいましたら、
これは売ったことになります。
しかし私は売り物にはしておりません。
ですが、謙虚に生きさせてもらうように
努力はしております。

世の中に「自分が、自分が」と言える人は
一人もなく、
大いなる神の目から見ましたら、
偉ぶることのできる人は一人もいないはずです。
増長慢は神を冒瀆する行為です。
全知全能すべての智慧を持たれた神からみましたら、
人間の存在などはいかに未熟なものか、
いかに至らないものかが分かります。
「愚か者の前から立ち去るがよい。

彼に知識ある唇を認めることはできない」
愚か者とは、己が偉いという人です。
「賢き者はそのすべてを自らに求め、
愚かな者はそのすべてを他人に求める」
賢き者は何事が起きても、どこに原因があったか、
私のどこにこの結果を呼んだ原因を作ったかと、
常に自らに求めていきます。
愚かな者は他人のせいにします。

何が起きても「あの人が悪いから私がこうなった」と、
他人のせいにします。
しかし過ちがあって、
不調和が起きて苦しむのは自分自身のはずです。
人は苦しみません。
自分が苦しんでいるのですから、
自分に原因があるはずです。
それを徹底して追求すべきですね。
「無智なるものは不遜で互いを詰る。

正しい人は互いを受け入れる」
魂の苦しみを知るのは自分の心であり、
その喜びについても、自分の心の
喜びは他人はあずかり知らないことであり、
喜びはわが心です。
喜びを喜びとして、
「ああ、有難いなあ」と思えばそれは自分自身の心で、
他人はあずからないことです。
喜びは自分の心にありますから、
すべての者は喜びを見付けるように努力すべきです。

                 
   ~ 感謝・合掌 ~


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