恩師の「心行の解説」上巻より ~
講演 二
「万象万物は広大無辺な大慈悲なり」
先の続き・・・
「牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが、
耕作をもたらすのは牛の力である」
世の中には、自分の気にいらないことや、社会悪だ、
間違いだということはいっぱいあります。
しかしそういう間違いがあり、汚いものがあってこそ、
自分が過ちを犯さず正しく生きた時に、
汚れに染まることのない蓮の花になることができます。
あの蓮の葉はいかに泥水をかけようが乗せようが
絶対に汚れません。
幼い頃、蓮池の蓮の葉っぱでよく遊びましたが、
どろどろの水をかけても全部玉になって、
傾けるとコロコロと転んで、
蓮の葉は少しも汚れません。
しかしあの泥に汚れることのない蓮の花は、
あの泥があってこそ咲くことができます。
汚い泥がなかったらあの花を咲かせることはできません。
それと同じことで、この世の中に罪をつくり、過ちを犯し、
悪を積む方がありますが、そういう方があってこそ、
私たちはそれに汚れない花を咲かせることができます。
誤った方たちを私たちの栄養として、
悪に染まらない魂を築くことが大切ですね。
すべての事象は私たちの学びの先生です。
そのようにして学んでいきますと、
すべては尊い師に変わっていきます。
「忠実な商人は欺かない。
欺きの発言をする者は嘘つきの商人である」
人を、友達を欺いてはならない。
嘘をつけば必ずばれてきます。
ばれるのを繕うために次の嘘をつかなくてはいけません。
これはものすごく苦しいことです。
私は幼い頃嘘つきでした。
この苦しみは体験した者でないと分からないものです。
幼い頃にいやというほど体験しまして、
「ああ、嘘はつくものではない、
とても苦しい」と、その恐ろしさをいやというほど知りました。
嘘はできるだけつかないようにしなくてはいけないと
悟らせてもらいました。
「不遜であれば智慧を求めても得られない」不遜とは増長慢です。
「己が偉い」と思ってしまいますと、
もう智慧の実を得ることはできません。
常に謙虚で、常に人の下であるということを知ったら、
すべての方は学びのお師匠様です。
しかし自分が偉いと思ってしまうと、
「お前らのような駄目な者の言うことが聞けるか」と
いうことになります。
増長慢になった時、いくら智慧を求めても、
もう得ることはできません。
~ 感謝・合掌 ~