せろふえ

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CD聴くが寝てしまう

2022年08月20日 | 音楽
 岩城宏之がCDだったか音楽を聴く事はあまりない、たいてい眠てしまう、と書いている。坂田靖子もチャイコフスキーのピアノ協奏曲が大好きで毎日のように聴いているのだが、眠てしまって最後がどうなってるか知らない、と書いている。我が意を得たり!
 バロックみたいな静かな盛り上がりのない曲の事ではない。むしろ古典からロマン派のあたりの曲なんかが眠りやすい。長過ぎるんだよ。いや長いもなにもワーグナーなんて1分もあれば眠れる。昨日はブラームスでやっぱり2分くらいしか聴いた意識がない。その前は一生懸命聴いていたのに10分ももたなかった。美しく、気持ちよすぎるのだ。(坂田靖子も同じ事を書いてる)

「何でも聴きますよ」

2022年05月11日 | 音楽
  同僚が音楽好きらしい。
「Aさん、どんなのを聴くんですか?」
「え?なんでも聴きますよ」
 と言うのだ。
「そうなんですか、僕は1番聴くのはバロック音楽かなあ、バロック音楽ではどんなの聴くんですか?」
「え?いや、バロックとか、クラシックはあんまり聴かないなあ」
「ははあ、じゃあ最近のジャズはどんなのがはやりなんですか?」
「いやジャズは聴かないなあ」
「・・・・・じゃあ民族音楽でおすすめはどんなのですか?」
「民族音楽なんて聴かないよお」
 (じゃあ、邦楽というか、都々逸(どどいつ)とか常磐津とかあるいは民謡とかは?)と思ったけど、やめました。
 何でも聴くっていったいぜんたいなにを聴くんだろう?
 僕っておかしい?あるいはいじわる?

 古楽の楽しみは朝5時から始まっているのだ。今朝は初めてなまで聴いた。そうしたら、途中でラジオの電池が切れた。(-_-;)

古楽の楽しみが5時からの放送に

2022年04月02日 | 音楽
 なんと!月曜日から、朝のバロックじゃないよ、古楽の楽しみが5時からの放送になると言う。エイプリルフールかと思った。(^^;)
 どんだけ老人向けなんだ。さすがの僕でも5時前には起きないぞ。まあいいか、録音して聞いているんだし。
 

ステレオ壊れた

2022年03月01日 | 音楽
 子供の頃、大人になったら音楽室作って立派なステレオで音楽を楽しむのだと思っていたのだが、人生ままならない。
 今使っているステレオはなんと妻のお古で、なにしろ妻が独身の頃から持っているのを使っているのだ。音質なんてどうでも良い。というか老人性難聴で、それでも音楽が楽しめているんだから良いじゃないか。ウーファーはなかなか良い。
 とうとうステレオは壊れてしまってCDが再生できない。でもPCとはつながっているんだからまあ良いか。なんてこった。
 新しい少しは良いステレオが欲しいが置く場所がない。まいる。

 今週の古楽の楽しみはヴィヴァルディで、ヴィヴァルディ嫌いだとずいぶん言ったり書いたりしているのだが、数年前からだろうか、ヴィヴァルディも良いのもある、と思えるようになってきた。声楽はまあまあよい。ヴァイオリンの曲について、誰かが、ヴィヴァルディはヴァイオリンの1番よく響くところをやさしく表現している、というのを聞いて、そうかなあ、そうかもしれないと思えるようになってきた。リコーダーの曲を吹く気になれない。つまんなくて難しいんだもん。

願い事がかないすぎて悲しいこと

2022年02月26日 | 音楽

 中島みゆきに「悲しいことはいつもある」という曲がある。


 悲しいことなら いつもある
 願いごとが 叶わなかったり
 願いごとが 叶いすぎたり


 昔、気の置けない男同士で車の中にこの曲が流れ、願いごとが叶いすぎて悲しいってなんだよなあ、そんなことあるかぁ?などと言うから、まあそりゃあ、たとえば、あした天気になれ(という曲もある)と思ったら、何十日も日照りになるとかさあ、と言って、バカ男子集団で、大笑いして、それはそれでいいのだが、本当は違うんだよなあと何十年も思い続けている。


 あそこに、すごーくいい男がいて、好きなのだ。でももう女がいる。それがまたいい女で、それこそ人もうらやむベストカップルなのだ。でもその男が好きなのだ。あんな女って、とても勝てるわけないけれど、事故かなんかで、死んじまって、いや、殺さなくたっていい、男と女なのだ、なにかのきっかけであんな女、っていい人なんだけど、捨てて私の所に来てくれないかと願う。
 願いがかなったら、悲しくない?

うっせぇわ のこと

2022年02月25日 | 音楽
「うっせぇわ」は、つまり中島みゆきの女なんてものにと同じものだ。
 詩というのは歌詞でも、意味がなくては。それは「誰もが感じているけれど言葉にできてない」ことをことばにすること、だと思うのだ。
 だから「うっせぇわ」は、これだけうけた。若いもん(おんなは、自分以外)は今までの苦労を引き受けろ、世の中こうなってる。そんなの「うっせぇわ」。
 じつは女なんてものにのほうはさらに深くて、こっちは、悲しいのはわかるけど「忘れてみれば?」「笑ってみれば?」。でも(なぐさめはわかるけど)「笑ってもあなたは帰ってこない」と言うのだ。今の自分にとっての理不尽が、本当の真実が、言葉になっている。
 がんばったけどダメだけど、でももう一回がんばろう、やっぱりダメだけど1番じゃなくても良い、あんたがんばったね。そのままで良い。ちまたはそんな歌ばっか。そうかと思うと、自分が出たんでもないのに、金メダルとれなかった、努力が足りない。ほんとバッカじゃなかろうか。

 →傘がないのことも


クリスマスオラトリオ

2021年12月27日 | 音楽
 
 毎朝古楽の楽しみを聴いている。次女が起きてくると中断、まあいいか。
 今週はバッハのクリスマスオラトリオ全部だ。なぜ「クリスマスオラトリオ」なのだ?「クリスマスカンタータ集」と言うべきだと思う。本場?のクリスマスは、24日のずっと前から始まり、新年にまで続く(らしい)。その折々の祝日に演奏するためのカンタータ集なのだから、本当はいっぺんに聴くものではない。
 僕は全然キリスト教徒ではなく、子供の時からクリスマスなんてやったかなあ?うちは日本の田舎の習俗で暮らしていたので、年末年始の行事はあったけれど。それも今では何にもやらなくなってしまった。まあいいか。
 ともかくバッハは美しい。

かぐや姫「三階建の詩」on youtube

2021年10月24日 | 音楽
 昨日はいろいろできた。
 朝のうちに庭の草むしり。コスモスがはびこっているが、花も終わったのでいくらか引っこ抜いた。それにしてもジャングルだ。
 次女はいつものとおりだが、買い物は「おとうさん」というので、順番じゃないがぼくが隣町のスーパーまで行き、次女はなんだかお風呂遊びのおもちゃを(また)買った。こづかいを決めているのでその中で何を買おうとまかせている。経済観念はないから意味がないと言えばないが、まあ金に限りがあること、むやみに好き勝手はできない、ということはわかっているのか。
 昼食の後に実家に行き、つるってあるタマネギと二つだけできた茄子をとってきて、ついでに30分弱の草むしりと実生のケヤキなど数本を引っこ抜いてきた。それでももうどうしようもない木もある、どうしてくれよう。
 チェロもちょっと弾いたし、なんと夕食後に有酸素運動を40分。


OGPイメージ

三階建ての詩 -かぐや姫 第4集- かぐや姫 昭和49(1974)年

人生は流行(はやり)ステップ 0:00
22才の別れ 3:43
あの日のこと 6:57
南風知らん顔 11:18
君がよければ 14:02...

youtube#video

 
 ともかくyoutubeがすごくてびっくりしている。僕はフォーク、ニューミュージック世代だが、金持ちじゃないので、かぐや姫はほぼベスト盤しかしらない。金に余裕ができたら名盤の誉れ高い「三階建の詩」を買おうかと思っていたのだが、いまさらという気もするし、そうしたらyoutubeに全曲あるのね。こんなことで良いのか。印税はyoutubeが払っているんだろうなあ。もっとも聞いたのはLPが音源らしくプツプツ針飛びの音が入っている。それも風情なのか。まあいいか。
 そういうわけでそれを流しながらその場ジョグなど40分。

フレンチGクレフの練習

2021年09月21日 | 音楽
 リコーダーを吹いていると、ヘ音記号の2オクターブ上げと言うか、フレンチGクレフというか、あるいは古いフルートの楽譜を三度上げるのはみんな同じだけれど、得意技だ。バッハだってほぼすべて吹けるんだから、まったくありがたい。
 フラウトトラベルソは人前で吹いたりあわせたりするのすら無理なレベルだから、フレンチGクレフが読めなくたっていいのだけれど、逆に古いものの方が人に知られてなくて良いという面もある。チェロピッコロはVnのオクターブ下の調弦だからVnのレパートリーや、それからオーボエやフルートの物の方がやさしくて楽しめる。だからどちらもフレンチGクレフが読めるようになりたい。これが難しくてねえ。
 コロナ禍であわせがなくて、かといってあわせの練習をする気がしなくて、ちょっとやっては遊んでる。フレンチGクレフの読む練習もちょっとやっては飽きてお茶飲んでる。脳内発酵が必要なのだ。ここ何日か、先月くらいの練習の成果が出て、ちょっとできるようになっているのだ。うれしい。やっぱり短期的にはあきらめて、長期的にはあきらめない、なのだ。

 写真はノードのフルートソナタ作品1-1冒頭。フレンチGクレフ、ト音記号が下に3度ずれている。

ドイツ盛期バロックの弦楽器のための室内楽曲集 アラリウス・アンサンブル

2021年09月20日 | 音楽

 実はCDをずっと探していたのだが、やっと(安く(^^;)買えた。LPを持っていて、すばらしいすばらしいと聞いていたのだが、CDが手に入らなかったのだ。
 楽器演奏の上達については、短期的にはすぐあきらめる、長期的にはあきらめない、だと思っている。(→前に書いた
 物を手に入れるのもそうかもしれない。もちろん宝くじが当たるとか、ストラディヴァリウスが欲しいとか思ってもダメだけれど、廃盤のCDもいつも気にしていると、どこかで出会ったりするのだ。うれしい。

 このCDはアラリウス・アンサンブルというが、クイケンらのアンサンブルのもので、弦楽器の純正な響きが本当に美しいのだ。

古楽の楽しみ

2021年08月10日 | 音楽

 老人なので早起きで「古楽の楽しみ」はかならず初めから聞ける。次女が起きてしまうとテレビをつけられてしまうのでそこで中断。毎日録音している。全部聞いているわけでもない。
 今週は再放送なのだが「私と古楽」と題して番組の解説者が自分の昔話をしている。とてもおもしろい。そうそう、学校の授業で先生が授業と関係ない話をしているのを、へえ!っと思って楽しく聞いている感じ。教科書通りの話より数倍おもしろい。


 今日は「危険な暑さ」だという。予想最高気温が40℃(熊谷)ってなんだってんだ。さいわい夏休みだ。なにもしないぞ。

ダブルタンギングのこと

2021年07月04日 | 音楽
 高校生の時にホルンを吹いていたが、ものにならなかった。というか、ろくに練習してなかったし、今思うと、肉体というか僕は唇が厚くてホルン向きじゃなかったよね。
 当然ダブルタンギングはtktkだった。ちなみにトリプルはtkt、tkt、と、ttk,ttk と使い分けろと言われたが、そんなレベルじゃなかった。
 リコーダーではdgdgとか、クヴァンツだったかオトテールだったかtiritiriとかあるいはdid'llとか、なんだかちっともわからない。
 現代楽器で使うのはとても速いパッセージを吹くためのもので、バロック時代、特にフランス物の場合はイネガル(不均等奏法)のためのものだろうから、初めから意味が違う。
 現代のものは英語基準だと思うのだけれど、バロック時代のタンギングの子音はどんなものなのだろうか?当時のフランス語のlとかrとか、どんな舌の動きなのだろうか?いや、そもそも現代だって人の口の中がどうなっているかわからないじゃないか。他人だけでなく、自分の口の中だって本当のところわからない!
 僕のアイドルのひとりと言っても良い有田正広が季刊リコーダーだったか、講座の中でそのクヴァンツだったかのrはどんなものだったのか質問されて「それはとっても専門的な質問ですねえ、気にしなくても良いです」と言うように答えていて、すごーくがっかりしたおぼえがある。とんでもない!最も基本的、根本的な質問じゃないか。
 もちろん、そういうわけで、人の口の中は、本当のところわからないのだけれど、当時のフランス語の発音のことでわかっていることを答えて欲しかった。(いや、今でも答えが欲しい)
 全然別なところで、フランス語の r は 若干 g に近い、と言う話を聞いた。そういわれて、フランス語のくぐもった発音をまねしてみると、ちょっとわかる気がしない?
 あまり追求してもしょうがない。追求すべきは、どうあれ、どんな音が出ているか、聴こえているかだろう。もちろん、どういう意識で吹いてどう聞こえるかだから、どういう子音を意識したときの舌の動きなのか、追求すべきだ、とも言える。

バロック時代のピッチについて

2021年06月29日 | 音楽
 個人的には、しょせんシロートに過ぎないが、もう半世紀もバロック音楽を聴いたり演奏したりしてきている。だから、当時のビッチが現代とは違い、それからひと言で言うのはなかなか難しいのだと知ったけれど、一般人は言うに及ばず、クラシック音楽愛好家も、あまり関心はないようだ。まあいいけど。


 当時は情報化社会ではなかったし、そもそも楽器を演奏する人々も限られていたのだから、ピッチをあわせることも仲間内だけのものだった。
 現在、一部?でバロック音楽のピッチは今より半音低いa≒415 だと思われているようだが、そうでもない。415はたしか、当時の有名なオルガンに縛り付けられていた音叉のひとつがそうだったというだけだと聞いた。
 バッハはカンタータで、415くらいと、さらに半音低いピッチが時代を経て使われ、同時にコーアトーンという現在より半音高い!ピーチを使っていたらしい。
 現在より全音低いピッチはヴェルサイユピッチと呼ばれ、ヴェルサイユ宮殿で使われ、たぶんそれがドイツに入ってきたんじゃなかろうか。当時ローマ(コレッリ)もそのくらいだったらしい。
 一方ヴィヴァルディのヴェネチア、ロンバルディア地方は440くらいのピッチだったらしい。今、ヴィヴァルディを415でやることはプロでも許されているが、それは歴史的には間違っている、というのは鈴木秀美の受け売り。
 イギリスでは現在より半音以上全音未満くらい低かったらしい。(408とか聞いたような気がするがすみません、いい加減に書いてます)
 教会のオルガンが当然、ばらばらのピッチだったらしいが、辺境の貧しい村ほど高い、それはパイプを短くして、特ににスズを節約するためだ、というのはおもしろい話だなあ。
 写真は2本ともアルトだが442と415。半音違うとこれだけ長さが違う。短ければ(音が高く)スズもずいぶん節約できるわけだ。

週に4日、5分、フラウトトラベルソを吹く

2021年05月11日 | 音楽
 10年以上も週に4日くらい、わずか5分だがフラウトトラベルソを吹いていた。それでもなんとか例えばヘンデルなんかはずいぶん楽しめて、バッハは難しくてほんの部分だけれど、ルイエとか初見で楽しめるのだからたいしたものだと思う。(人前で吹くことはあまり考えられない。)
 それがいったん中断してしまったら、その後少しずつ吹いているのだけれど、全然ダメなのだ。まいる。5分で良いから週に4日以上、できたら5日以上と、今週末から毎日吹いているが、どうかな?
 プラスチックは出しっぱなしでも良いので、とても良い。楽器の練習のハードルのひとつは、楽器を出して弾けるまで、なのだよ。

楽譜を見たい

2021年04月30日 | 音楽

 少なくともクラシック音楽は「楽譜」で現代まで伝わっている。音はほぼ残っていない。
 だから、僕なんて所詮下手くそアマチュア演奏家に過ぎないが、それでもまず、楽譜を見たい。プロの弾いた音は後だ。(と言ったって、自然に聞いている事が多いし、参考になるから聴いた方が良いが。)へんな先入観なしに楽譜を見たい。音楽仲間も、楽譜を配られるとまずプロの音源を探す人が多くてびっくりする。
 小説家がすごい悪筆で、編集者なのか解読して活字にしたという話を聞く。だから作曲家の下手くそな自筆だけでなく、出版譜のほうがよかったり、それしかなかったりする。多くの自筆譜のファクシミリとか、初版譜が僕のようなアマチュアでも見ることができて、本当にありがたい時代だと思う。
 それから、楽譜に書いてない習慣の問題もある。われわれアマチュアも勉強しなけりゃなあ。困ったことに、そういうわけで、プロも信用できない。良い先生に出会わないととんでもないことになる。


 写真は長年愛用している写譜ペン。いったん見つからなくなって、でも出てきた。よかった。