せろふえ

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定期終わる

2024年12月16日 | チェロ

 第43回定期演奏会が終わった。ブルックナー5番 アルルの女第2組曲
 まあどうにか終わった。実は割と大きな事故もあったらしいが、恥ずかしながら全然気づかず。まあいいか。
 個人的には知り合いがたくさん来てくれてめずらしく花などももらい、ほんとうにありがたいことだ。

 写真は僕の撮ったものではないのだがすみません、良い写真だなあと思って。加工もしました。問題があれば削除します。

MARTHA 短編映画 クリストファー・ヘイドン監督

2024年12月14日 | 映画・テレビ

 怖かった。映画の案内は「少女は目を覚まし、地球上に残された最後の一人であることを知る。」というのだが、もちろん最初は近所に誰も居ない、というところから始まり次第に不安が増幅していく。そこの描き方がうまい。その後も、そして最後のMARTHAの行動が怖い。なにを暗示しているのだろうか?わずか20分なのだ。へたなTVドラマ10週分より深い中身だと思うよ。

短編映画


 昨日は友達が、今バリ、とLINE。
 別の知り合いは、今年はブルックナーの生誕200年で、3曲演奏することになります、と。うーんブルックナーを3曲ってどれだけすごいんだ。僕は30分ほどの練習で1楽章分位しか見てない。弾けるようにはならない。まいったもんだ。本番は明日。


ブルックナー 交響曲第5番 4楽章 388小節目-

2024年12月13日 | チェロ

 こんな本番の数日前に気づくなんて間抜けだが、ちっともできない、どうやればいいのか見当も付かない所のフィンガリングを発見してうれしい。心配だったが、なんだよパートトップも同じフィンがリングでやっているそうだ。それなら間違いない。
 388小節目から12121212…。半音ずつずらしていく。半音がだんだん拡大したり縮小しかねない。最初のeとかaとか、それからハーモニックスのあるdあたりで音程を確認しないといけない。最後のesgescesは132。
 本番でできるかどうかあやしいもんだ。

 昨日はたまには自転車漕ぐかと思って漕ぎ出したのだが、北風でまいった。今日は風がないというので今日にすれば良かった。
 でも世の中には「坂バカ」(上り坂を好んで自転車で登る)も居るようだし、それじゃあ風バカもいるかも。僕は違う。

恋人たち 橋口亮輔

2024年12月12日 | 映画・テレビ

 このタイトル見たら見る気がしないのだが、すごくたくさん賞を取ってるのね。キネマ旬報第1位とか書いてあるのをみてつい見てしまった。
 つまんない。主人公のこと(演技)はなかなか良いと思うのだけれど、その、通り魔に妻が殺されたっていう設定も、ご都合主義的に感じられてしまう。なにも解決してないし、いや解決しなくて良いのだけれど、自分がこの映画を見る意味が見いだせない。
 いかにも評論家が高く評価しそうな映画だが、つまんない。


 昨日はちょっと遅く6時前に起床、古楽の楽しみ。宮崎晴代の時は歴史がらみのあれこれも聞けて面白い。
 実家に行って火燃し。少しはゴミ(剪定枝)が減ってありがたい。なくならない。昼食は古い折りたたみの自転車を漕いで外食したが、外食高いなあ。自転車はすっかり錆びている。どうしてくれよう。
 チェロは本番間近のブルックナー。できないところが少しわかってうれしい。でも本番で弾けるかどうかはあやしいもんだ。

オトテール 組曲 作品2−4 ホ短調→ト短調

2024年12月11日 | リコーダー

 プレリュード 
 アルマンド「フォンテンブロー」 
 サラバンド「旅立ち」 
 Air「花盛り」 
 ガヴォット「ラ・ミチルド」
 村の輪舞「オートゥイユ」
 ミュニュエ「ル・ボーリュー」

 原曲というかホ短調のものは有田正広の「偉大な世紀のフルート音楽」に収められている。
 どういうわけか前回2−2を吹いたときはあまり面白くなかったのだが、この2−4はとても楽しめた。あらためて吹いても2−2はつまんない。ずいぶん昔に書いた2−3はまあまあいや、そうとう面白い。2−5はどうだろうか。
 

作品2−3← →作品5
 →リコーダーのレパートリー
 →ホームページ

遺品整理 靴

2024年12月10日 | 日記
 ほんとにまったく怠け者なので、ちっとも片付かない。ちょっとずつしかできない。
 今度靴箱の靴を掘りだして、少しキレイなのはもらってもらった。ちょうどサイズが同じだったらしくもらってもらえ、こんなにありがたいことはない。

核燃料サイクルという迷宮 山本義隆

2024年12月09日 | 
 核燃料サイクルという迷宮 核ナショナリズムがもたらしたもの図書 山本 義隆∥[著] みすず書房2024/05
 図書館の案内: 日本のエネルギー政策の恥部、核燃料サイクルは、戦前来の電力中央集権化とナショナリズムの申し子だった。その歴史の精査をもとに、エネルギーと軍事にまたがる日本の核問題の来し方行く末を見つめ直す。



 まったくこの本を読んでいると、胸が悪くなる。もちろんそうだろうと思っていたが、原発は全然安くない。まったくそうだ。地球温暖化防止に寄与しない。クリーンではない。原発ムラに巣くう連中の私腹を肥やすためだけにある。みんな縛り首にしたい。そもそも原発はその初めからエネルギーのためでなく、潜在的軍事目的で推進されて来た。それらが資料つまり証拠と共にここに記述されている。これももちろん知ってはいたが中曽根康弘は極悪である。地獄からもう一度引き出してもういちど市中引き回しの上極刑に処したい。安倍晋三は言わずもがな。冗談ではない。
 この本すべてを引用したいくらいだが、次のは象徴的だ。

「日本人が国際的なやりとりで時に口にする言い訳や“説明”は余りにお粗末すぎて、とても本気とは受けとれない……。本音と建て前の使い分けは日常的におこなわれ、普通、日本社会の良い面とはされないまでも、そのことの倫理的な是非は問われない。しかし、この使い分けが、ある考え方の枠組みを生み、いろいろな欺瞞が社会的に容認される素地ともなっている。日本人は、西洋人に真似できないほど自分のまやかしについてあっけらかんとしている。日本人には、その不正直さを叱られる恐れなしに正直ぶることが許されているのである。(van Wolferen 1989b, p. 24F.)

 つまり責任は我々にある。政治家や官僚だけではない。もう、舌噛んで死んじまいたいくらいだ。そのくらい怒っている。

シチリアーノ パラディス(偽作?ドゥシュキン?ウェーバー?)

2024年12月07日 | チェロ

 パラディスのシチリアーノは有名らしい。なるほど鈴木メソッドの7巻に取り上げられているからか。

チェロ愛奏曲選 〈ピアノ伴奏付〉 小原 仁 (編集) - せろふえ

これいつ買ったんだろう?たまに引っ張り出して少しは弾いたが、まだ全部なんて全然弾けない。編者が書いているのが「難曲に挑戦することも大切ですが、「チェロを歌わせる...

goo blog

 
 に収められているので知った。鈴木メソッドは見てない。
 美しく、シチリアーノの魅力。
 パラディスは盲目の女性音楽家、モーツァルトから古典派の頃か。でも偽作らしく原曲はウェーバーでドゥシュキンというのがパラディスをかたって発表したとかなんとか。わけがわからないが美しい曲だと言うことはたしかだ。
 美しいが上のdes(a線の11度上)まで出てくる。これを取るのがとても難しい。 
  youtubeリン・ハレルの動画を見るとちょっとさぐっているというか、下からずりっとしてるよね。だからシロートもずらして良いのだ!。でもね、なんて音楽的なのだろうか。こういうふうに音楽的にずらしても良い、そして正確な音程で弾きたいものだ。


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大学教授こそこそ日記 多井学

2024年12月06日 | 
 当年62歳、学生諸君、そろそろ私語はやめてください

 この、日記シリーズはどれもおもしろい。これは中でも相当おもしろかった。著者の大学教授は相当まじめな大学教授だと思う。ユーモアもあり、とても好感をおぼえた。このシリーズの他のとはずいぶん違う気がする。著者は身バレがこわいみたいな事書いているけど、バレてるんじゃないか。まだたくさん読んでないのがある。楽しみだ。

こぼれたパクチーが生えた

2024年12月05日 | 日記

 こぼれた種からはえたのだろう、パクチーが育っている。でも道にはしょっちゅう犬が散歩しているし、ここら辺も外猫がいる。食う気はしない。(^^;)


 島田橋まで自転車でひとっ走り。川向こうをぐるっと土手沿いに回って帰ってこれないかと思ったのだが、行き止まりだった。くそ。

 月と木星が明るく写真撮ったのだが、ともかくここで露出や色味が変えられてしまう。どうしてだろう?僕だけっぽいのだが、なぜだか謎だ。なにもしていないはずなのに。
 

おくりびと をリコーダーで

2024年12月04日 | リコーダー

 ヴォカリーズが笛で吹けるなら、おくりびとも吹けるんじゃないかと試したら、問題なく吹ける。ただしテナーでチェロのヘ音記号をオクターブ上げるのがなかなか難しい。(冒頭のレを左手中指だけのレ。)でもゆっくりだしね。


 バッハがカンタータでリコーダーを何度も使っているのだが、そのときはたしかたいてい2本で使い、リコーダーは天国の音のイメージだ、と読んだことがある気がする。(たとえばカンタータ106番ついでに次女の中学卒業式の話
 だからおくりびとをリコーダーで吹くのはいい感じがする。

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言葉の還る場所で 谷川俊太郎×俵万智対談集

2024年12月03日 | 
 谷川俊太郎が亡くなって、図書館に並んでいたところから借りた。谷川俊太郎の作品と人物はどちらも興味深いが、俵万智も興味深い。ちょっと作品をまとめて読みたくなった。野田秀樹が、ある対談の組み合わせを聞いて「あーその対談は面白くないね。」「人としてタイプが同じだから」。というのも面白かった。

酸辣湯の想い出

2024年12月01日 | 食べる・飲む
  本当に世の中豊かになったと思うのだが、今はあたりまえにそこら中にある酸辣湯を知ったのは30年以上前だったと思うだが、その頃はちまたにそんなのなかったよ。少なくとも埼玉、僕の知っているあたりにはなかった。ちょっとだけリッチな、ちゃんとした中華料理屋での飲み会で出てきて、すごくうまかった。
 自分で作れないかと思って、当時はこんなネット社会じゃない。そういう意味で豊かになったと思うのだが、何でもネットで調べられる。ネットなんてないから図書館に行ってりっぱな百科事典のような中華料理のレシピ本探し出してこれになら載っているかと思って、目次に酸辣湯を見つけたときには「やった!」と思った。急いでページをめくると

1.キンコを戻す
・・・・・・・・・・・
 と書いてあって、次の行は目に入らなかった。「キンコを戻す?」??????
 パタッとページを閉じて書架に戻し、二度と作ろうとは思わなかった。



 のちのち知ったのだが、キンコというのは干しなまこのことで、その戻し方を見るとすごい。いまやそれすらネットで見える

 キンコを戻すのに1週間くらいかかる。
 当時の酸辣湯はさぞかし高級中華料理だったんだろうなあ。


 昨日のお昼は賞味期限の切れた酸辣湯麺のカップ麺だった、貧しいなあ。(いや別に金がないわけじゃない、余ってるわけでもない(^^;)


 災害対策でカップ麺をすこしストックしていたりするのだが、実は全然喰わない。ぼくはカップ麺を喰いたいと思うことがほぼ皆無なのだ。最近は災害対策として特別な災害食をストックするのではなく、いつも喰ってる物を多めに置いておいていつもストックがある、というのが良いと言う。なるほど。