昨夜の更新の続き。環境問題っていうか、環境教育について、ちょっぴり考えてみた。
ある中学校での調査によると、環境問題の原因はという質問に対して、
98年調査時の中学生
46%科学技術
42%個人
98年調査時の保護者
41%企業
37%個人
現役中学生
48%個人
32%政治
このデータは、環境教育のあり方について語る中で登場した。
公害教育を受けて育った98年時の保護者は「企業の責任」を重く考え、一方で、環境問題について学んだ中学生は「科学技術の責任」と考える。そして、現在の中学生は「政治の責任」。これは、原発などの問題を目の当たりにしたからだろうか…。
ここで、おもしろいなと思ったは、98年には、「科学技術の責任」と考えていた子どもが多数いたのに、現在ではその数が非常に減少していること。
さらにアンケートは続き、地球の未来について、98年時の中学生では、「さらに深刻になる」という回答がトップだったのに、現在では「分からない」がトップに変わっている。
たしかに、近年ではクリーンエネルギーだったり、環境にやさしい技術だったり、省エネやごみの分別などの個人の努力だったりが注目を浴び、ひょっとしたら地球の未来はかえられるかも…なんて希望もでてきているのかな。
スピーカーの方は、科学技術の素晴らしさと、環境への影響、この2つをバランスよく学ぶことが大切と、まとめていた。
アメリカの海洋生物学者、故レイチェルカーソン女史が「沈黙の春」を出版されて、まもなく50年。
DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険性を、鳥達が鳴かなくなった春という出来事を通し訴えたこの著書は、環境問題への警鐘を鳴らした最初の本と言われている。
一方で、現在の科学の見地から、幾つかの誤りが指摘されたり、この著書をきっかけに、化学物質をすべて否定するような風潮も生まれたとされている。
わたしが、子どもの頃、なんとなくだけと「人間は地球の敵」みたいな論調があった。今もそう感じている子どもたちはいるように思う。
でも、より生きやすい便利な世の中を追求してきた先人の知恵と努力を、完全否定するようなことは誰にもできないんじやないかと思う。だって、地球を構成するすべての生物は、自分のDNAを残すために、いつも必死だ。
我々も先人や他の生き物たちと同じように、今ある環境の中でよりよく生きる努力をすることが大切。
先人が荒野を開拓し、多くの危険動物から安全を確保したり、沢山の病を根絶したり、生活の利便性を追求したり…。
新たに見つかった課題を解決していくのは今を生きる私たち。
負の遺産って言葉もあるけど、だったらそれに余るほどの、プラスの遺産だって受け取っている。それらを正しく知ることがとっても大切だと思う。
いろいろ書いておきながら、わたしは、科学者じゃないし、難しいことはちっともわからない。
でも、知る努力はしたいと思う。
そして、今の自分の生活をより良くすること。もちろん未来も見据えて…。
節電するのも、分別するのも、み~んな自分のため。それでいいんじゃないかな。地球のためとかって、何か押し付けっぽい。だって、すべての生物たちが自分のために進化をつづけている。
わたしには、子どもはいないけど、もし子どもに教える機会があるなら、そんな風に教えたいなぁって思う。
レイチェルカーソン女史は、別の著書「センスオブワンダー」で、小さな子どもは「感じること」が、何より大切と書いている。この本は、彼女が幼い子どもと一緒に自然を探索した体験をもとに書かれたエッセイ。子どもと自然の中に出かけ、神秘さや不思議さに目をみはる感性を育み、分かち合うことがどれだけ大切かということを教えてくれる。
子どもたちに、とっても大切なことは、これだと思うんだな。
【センスオブワンダーより】
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
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