「大村キク」(旧姓金岡、ペンネーム大原菊子)は学事関係職員録によると大正7~8年(1918~1919年)には旧姓「金岡キク」、大正9年(1920年)には新姓「大村キク」と記載されていたので大正8~9年頃に「大村正次」と結婚したようだ。
1974年版(昭和49年版)石動高等学校編刊に「大村キク 家庭 鹿島2-6 昭和14.6.25~18.2.16」との在籍記録があり、1986年版(昭和61年版)の職員名簿には「物故」として記載されている。
そのときの住所は「富山市東岩瀬福来***」となっていた。
1986年版(昭和61年版)が何時編集されたかということだが、昭和49年「正次」が没した地が富山市東岩瀬福来町なので、「キク」も離婚後(昭和35年)は故郷富山市の正次の住んでいた同じ「福来町」に帰っていた。
昭和38年(正次帰郷)~49年(正次没)の間は元夫婦は同じ町内に住んでいた可能性がある。
摂津国の怪人