「直木賞」にその名を残す作家、直木三十五は自分の年齢に合わせてペンネームを変えていましたが、最初は「直木いくつ」だったでしょう?
・直木二十五
・直木二十八
・直木三十一
・直木三十四
→ 直木三十一
直木三十五は1921年、31歳のとき「直木三十一」のペンネームでデビューしました。その後年齢とともに「三十二」「三十三」と増やし(「三十四」は飛ばしています)、「三十五」となったときに定着させました。
Wikipediaでは、直木三十五の名前については、つぎのとおりである。
本名は、植村惣一。
「直木」は「植」の字を分解したもので、「三十五」は年齢を元にしたものである。31歳のときに直木三十一の筆名で『時事新報』に月評を書いたのが文筆活動の始まりで、以降誕生日を迎えるごとに「三十二」、「三十三」と名前を変えていた。
34歳の誕生日を迎えた時、本人は「直木三十四」と書いたのに、編集者が勘違いから「直木三十三」と書き直してしまった。しかし、当の「直木三十四」はそれを訂正することはせず「直木三十三」を使っていた。しかしながら「三十三」は字面が良くない、あるいは「さんざん」と読むことができたり「みそそさん」呼ばれることを本人が嫌ったようで、直木三十五と名を改めた。それ以降は改名することはなかった。理由は「三十六計逃げるに如かず」と茶化されるのが嫌だったからだという。また菊池寛から「もういい加減(年齢とともにペンネームを変えることは)やめろ」と忠告されたからだとも言われている。
亡くなった時の年齢は43歳であった。