今日、5時46分。
阪神大震災から丁度20年目。
今日を含め、この1週間、関西では、阪神大震災に関連するニュースを流している。
私の震災の記憶:
・冷蔵庫、食器棚等重いものが、北側に5センチ平行移動した。
・マンションの駐輪場の自転車は、倒れていた。
・電車、モノレール等交通機関は、止まった。
・当日は、NTT回線は通じていた。
・翌日以降、朝から夜までは、不通となったので、連絡は、公衆電話のみになった。この時、携帯電話の普及が進んでいなかったので、携帯電話だけが普通に使えていた。
これ以降、関西では、携帯電話が急激に普及した。私もこの後、携帯を購入した。
・JR東海道線(京都線)は、翌日から開通した。
・JRも復旧したので、大阪市内は、普通に生活していた。
・会社では、全国からサポート部隊が駆けつけ、お客様への対応をしていた。
・阪神地区に親戚がいる方は、歩いて安否を確認されていた。
・阪神地区に住んでいる社員は、その週末から、ホテル住いが許されて、家族を連れて大阪に来られた。
自宅の周りの阪神地区の被害が凄かったので、大阪はもっと凄い被害と思っていた。
船で、大阪港に来たとき、大阪の街が光で溢れていた。何を現地で頑張っていたのかと自問自答してしまったとのこと。電気が通じないので、現地では全体の被災状況が分からなかった。
・自宅から避難する時に、近所の人を何人も救出した社員もいた。
・震災地区には、迷惑がかかるといけないので、大阪から西には、殆どいかなかった。
・取引先の方が、6月に役員になられたので、そのお祝いを持って西宮の自宅を訪問。半年後だったので、崩壊した家の跡地は、更地になっていた。更地の土地は結構あった。
活断層の上だけが大きな被害を受けたので、更地の地域が特定していた。
・神戸・三ノ宮へは、その年の12月に開催されたルミナリエを見に行った。その当時、復興は進んでいると感じた。