畑の草や落ち葉を燃やす燃料が少なくなったので、きのうは「薪づくり」に精を出しました。薪といっても古い竹です。切り倒して、置き場がなくて、竹薮に突っ込んでいた古い竹を引っ張り出し、電動丸鋸で薪サイズに切るのです。これを畑に運んで燃料にします。
燃料がなくてもくすぶるように燃えますが、灰になるまでに時間がかかります。それにくすぶるだけでは暖をとることができません。また古い竹は枯れて割れており、燃やしても「パン!」と弾けません。いい火力で草木灰をつくってくれます。
いま図書館で借りた『私のお遍路日記』(歩いて回る四国88ヵ所) - 佐藤光代 著 / 西日本出版社 / 2005年 - という本を読んでいます。半分読みましたが、なかなかおもしろい。
ぼくは四国88ヵ所は一度まわったことがあります。ぼくが退職し、父が亡くなった1997年に妻と二人で、自動車でまわりました。もう15年も前になります。あれからときどき図書館で「四国お遍路」の本を見かけると、自分は「歩き遍路」で苦労したわけでもないのに、なぜか読んでみたくなるのです。
でも印象に残るのはヘンなことです。例えば作家・車谷長吉の歩き遍路の本では「旅館を出てしばらく歩くとウンコがしたくなり、畑に入ってした」というくだりが毎日のように出てきます。そういう体調で、自分の印象につよく残っているから書くのでしょう。まあ、正直でいい。
戦場カメラマンの石川文洋の『四国八十八ヵ所』(わたしの遍路旅)- 岩波新書 は、道道で出会った人たちの写真がついていたりしますが、どうも入っていけませんでした。読んでいて、「大変だろうけど、頑張ってるな」と応援する気になりませんでした。
他にもいろいろ読んだことがあります。自分の印象が長々と書いてあったり、お寺の歴史なんかが書いてあると、読むのが面倒になって途中でやめます。
で、いま読んでる本は「これから《歩き遍路》をしてみよう」という人には<とても役に立ち>ます。著者の佐藤光代さんは30歳代半ばのときにこの本を書いたのですが、毎日歩いた歩数と距離、どんな物を持ち、どんな食事をし、いくらお金を使い、どこに泊り、どんな人と出会ったか、がきちんと記録してあります。その視線が素直で、出会う人との距離感がほどよく、好感がもてます。読みすすむうちに応援隊になって旗を振っている自分に気付きました。
「歩き遍路」をする人は、自分の人生の<ストーリー>を、自分の脚で刻むのですね。あとで文字に記録しようとしまいと。ぼくもやってみたいと思わないではないけれど、ま、いろいろいっぱいあって……。本を読んで応援します。