『佐の広池』の奥は夏の間、草の海になっていました。その草も枯れてきたので、土曜日・日曜日二人で草刈りをして、散歩道開通にこぎつけました。草は腰を越すほどに伸びていましたが、刈払い機で「三度刈り」をしてサラエ(熊手・ホームレーキ・ガンジキともいう)で二度掃いて、きれいな道にしました。もう運動靴で歩いても気持ちよく散歩できます。
『大池』のほうからは老人会の先輩にあたる村でも働き者の方が50メートルほど刈っておられたので、そこも「仕上げ刈り」をしてきれいに掃きました。これで200メートルほどの区間を歩けるようになり、佐の広池をまわって散歩できます。山と里の境目になるので野鳥も見られるでしょう。
ぼくらは自分勝手に『仕事』と称して、外でごそごそ動いています。でも考えてみると必要な順番に「仕事」をこなしているわけではありません。この散歩道なんか一番「どうでもいい」「仕事」になります。ここを歩かなくても農道は縦横にあり、こんなところに道をつける必要なんか村のだれも感じていません。ぼくらも、することがなくて、ひまを持て余して、道をつけたのはありません。畑にも家のまわりにも裏山にもそして家の中の片付けにも、することはいっぱいあります。
でも「やる気」というのは妙なもので、なぜか、いま、したくなる「仕事」があります。それを気ままにできる。そういうのを´老人のしあわせ´というのでしょうかねー。