古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

戦死した兵士の墓です。

2012年12月01日 04時26分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 神戸電鉄「えびす」駅の踏切を渡って坂道を登ると、写真のような戦死した兵士の墓があります。あの戦争には、この町からもたくさんの強い男たちが出征したでしょう。そして戦死した。その男たちをしのんで、町の人たちが立てたのでしょうか。
 きのうは三木の図書館に行く途中、車を止めてこの墓を見ました。石の柱に彫られた、戦死・戦病死の場所や年齢を見てまわると、中国戦線、ルソン島など南の島、沖縄となっています。20歳から35歳くらいの、人の一生で一番強健なときに、戦って死なねばならなかった。力強い男たちが、どんなふうに病気になり、どんな死に方をしたか。いま読んでいる本『軍旗はためく下に』(中公文庫/結城昌治)が、この墓にオーバーラップしてやりきれない気持ちです。
 おととし2010年6月に一泊で大塚美術館に出掛けたとき、四国巡礼第三番のお寺・金泉寺で戦死した兵士の顕彰碑を見ました。小さな村からたくさんの兵士が出征し、戦死していました。芦屋市には六甲連山の麓に大きな霊園がありますが、その入口近くに芦屋から出征して戦死した兵士の碑がずらっと並んでいます。一人一人の戦死した兵士に1本ずつ小さい碑が立っているのですが、あまりの多さに息を飲みます。
 勇敢に敵と戦って戦死した人は少なく、無茶な命令で突撃させられたり、飢えで体力がなくなって病死したのではないか。ぼくより10年早く生れたために出征した男たちを、思わないではいられません。ぼくも10年早く生れていたら……。
 90歳前後の男たちは、現世で体験したとも思えない地獄絵を、人に語る気にもなれず姿を消していきます。そして次の戦争の足音が聞こえてきそうな政治状況です。
 
 
 
コメント
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