古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

我が家は若葉にかこまれています。

2015年04月20日 01時24分08秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                       
 我が家が真ん中になるように遠景を撮りました。後ろの山(隣村)と重なって裏山が高く見えますが、実際は中央の黒っぽいところの上がうちの裏山の頂上です。元は竹藪でした。竹は一本残らず伐り、しかし斜面が急で太い木の育っていないところです。この空間があるお蔭で、裏山の頂上に登ったら村の景色が見渡せます。
 いま全部の景色が若葉色です。この色合いは5月までもちません。深い緑になってしまいます。
 毎年同じ、こころ満ちる眺めで「ここに暮らせてよかった」という思いを声に出さないで反すうします。
 ″見事な景色″でなく、どこでも見かける、ありふれた田舎。それがいい。実にいい。実際に何日も何ヵ月も何年も暮らしてしみじみ感じます。
 世の中の「田舎暮らし志向」はずっと上昇傾向です。
 ぼくらは2000年の少し前くらいから(阪神大震災の少し後)「田舎暮らし希望」が強くなりましたが、具体的に動き出すには相当な時間が必要でした。実際に「空き家探し」を始めたのは2005年で、11年前になります。ぼくは68歳になっていました。
 あの頃から見るといまは情報が増えてきました。不動産屋さんの扱う「田舎の空き家」物件が増え、価格がこなれてきました。あの11年前の苦労を思うといまは「随分情報に恵まれています」。でも「田舎暮らし」は簡単には実現しません。
 今年の冬は裏山を「公園風な庭にしよう」といろんなことをやりました。畑仕事の季節になり、そちらに精を出すことになりますが、裏山をちょっと歩いては満ち足りた気分になります。そして「ここまであれこれ考えて田舎暮らしに踏み切ったわけでないけど、恵まれてる」と思い返します。
 ひとは一生懸命生きる。そしてなにかと出会う。 
 そしてどうなるか。
 いずれにしろ、どこにいても、どんな目に遭っても、ひとは一生懸命生きる<生き物>なんですね。
 
 
コメント
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