古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

加賀乙彦『帰らざる夏』はなるべく少年に近い年齢で読む本でした。

2015年04月06日 04時42分44秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 加賀乙彦の『帰らざる夏』を読んだのは30年前、ぼくが47歳のときでしょうか。強い衝撃を受けました。
「いつか読み返そう」と思っていたこの本を読み終えました。77歳で読んでも読み飛ばせる本ではありませんでしたが、「なるべく少年に近い年齢で読む本だ」と思いしりました。自分がもう「少年」に入れませんでした。
 大型活字本の解説に中野孝次はこう書いています。


『帰らざる夏』は1973年、つまり敗戦後28年目に出現した作品ですが、この年は、やはり戦争中の純粋な軍国少女を扱った小説、郷静子『れくいえむ』の出た年でもあって、二つともそういう世代のかかえる問題を真正面からとりあげた力作として注目を浴びた。郷氏と加賀氏はほぼ同じ世代に属する作家です。(二人とも昭和4年・1929年生れ)すなわち、戦争を「聖戦」、つまり天皇の聖なる戦争として真正直に信じた世代だ。ということは、敗戦によって最も深刻な傷を受け、その傷痕をこころの奥深くかかえたまま戦後の時間を生きた人たちだということです。かれらにはおのずから、それに先行する世代(たとえば戦後派の作家たち)とも、後行する世代(たとえば、戦争を巨大な自然災害のように経験した、1935年〈昭和10年〉以降に生まれた者たち)とも違う、言いつくしがたい憤りと怨みとが日本と天皇にたいしてあり、それが戦後28年という時間をへてようやく、40代半ばに達したかれらの目に正しくとらえられることができたということでしょう。


 1937年(昭和12年)生れで敗戦のとき7歳だったぼくと、16歳だった加賀氏との距離は途轍もなく大きいです。
 昭和8年生れで「愛国少年」だった先輩は敗戦のとき12歳でした。8月15日で価値観がひっくり返ったとき「オレは一年間、黙って、じーっと、大人の言うこと・することを見た。そして、人間は、こんなものなんだ、と思うことにした」と話してくれました。
 語ろうとしても語りきれない「思い」をかかえて生きた人人が、高齢になり、生身の人生が歴史に送り込まれていきます。
 
 
コメント
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