古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

デジカメを買いました。

2015年04月30日 02時40分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 デジカメが具合わるくなってよく買い換えましたが、手元には幾つ残ってるだろう。
「デジカメ集合!」と号令を掛けたら、写真のようにゾロゾロ集まってきました。
                     
 これに現役のペンタックスのデジカメを加えて5つあります。ところがそのペンタックスのデジカメをどこかに置き忘れてしまいました。4日ほど心当たりを探しているのですが見つかりません。「あのペンタックスは調子がよくて愛用してたのに、どこに置き忘れのだろう」と残念がっても仕方ないし、アマゾンで買いました。

 ぼくは中学生から高校生にかけてカメラに憧れる<カメラ少年>でした。
 中学の修学旅行は、鳥取県倉吉市から夜行の汽車に乗って <京都→奈良→大阪> と見てまわるコースでした。鳥取駅を夜行列車が通過するとき、まだ鳥取大火の火がくすぶっていました。昭和27年(1952)4月のことです。
 そのとき生徒の中に「スタート」とかいうオモチャみたいな黒いカメラを持っている生徒が一人いて、みんなの注目を浴びていました。大事そうに首にぶら下げていました。ぼくもカメラに憧れるようになり、毎日写真屋のウインドウに並べてあるカメラを眺め、本屋でカメラ雑誌の広告を眺め、日記に自分の理想とするカメラのデータを書き出し、虫メガネの凸レンズと馬糞紙(ボール紙)でカメラを作ろうと思ったり、寝ても覚めてもカメラ熱にうかされていました。
 見かねたのか高校1年生のとき、母がカメラを買ってくれました。<オリンパス・シックス> という蛇腹式の高級カメラでした。当時はブローニー・フィルム(幅の広いフィルム)のカメラが幅をきかせていました。
 学校から帰ると毎日カメラの蛇腹を繰り出して、息のかからないようにこっそり眺めました。そのうち「自分がカメラを持っている」ことを友だちに話したくなり、とうとう我慢できなくて仲の良かった友だちに内緒で話してしまいました。その日のうちに知られることとなり、数人が連れ立って家にカメラを見に来ました。「見るだけだぞ」と言ったのにみんなカメラを構えてファインダーをのぞきたがり、ハラハラしました。
 大人になり、「レンズ付きフィルム」というか「使い捨てカメラ」が出るような時代になり、デジカメ時代になり、携帯電話で写真が撮れる時代になり、ぼくの写真熱は冷めてしまいました。でもブログ用に写真は撮っています。
コメント
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