古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

孫の卒業式に感心しました。

2018年03月22日 20時30分43秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は孫の卒業式。おじいさんおばあさんは見掛けませんでしたが参列したっていいじゃありませんか。ねえ。朝から張り切って神戸まで出掛けました。
 ピカピカの街のピカピカの小学校。家家も道路も電柱もみんなピカピカ。こんなところで暮らしたらどんな気持ちでしょう。田舎から出てくると気後れしてしまいます。
 中学校に長年勤め、卒業式には毎年付き合ってきましたが、小学校の卒業式は新鮮でした。式の準備や練習など裏の苦労も知っています。ご苦労さまです。

 卒業証書をもらった後、卒業生がステージに並んでいくつも歌を歌い、大声で〈思い出〉や〈感謝〉を伝える写真です。昔でいうと〈在校生送辞 ⇒ 卒業生答辞 ⇒ 蛍の光 ⇒ 仰げば尊し〉という場面です。歌の指導/シュプレヒコールの指導/一人一人が卒業証書をもらう出入りの動き/と時間をかけて指導されたことでしょう。大変な努力が感じられ、立派な卒業式でした。

 卒業式のあと拍手で見送る人垣を、笑顔で巣立っていく子どもたち。4月からランドセルを置いて中学生になります。明るい未来がこの子どもたちをつつんでくれますように。


 最近のニュースで国会議員が文部省を通じて「中学の授業のことで現場に問い合わせた」とか。「道徳が教科として、教科書で教えられる」とか。おそらくそんな人たちの頭は、卒業式といえばいまでも「 送辞 ⇒ 答辞 ⇒ 蛍の光 ⇒ 仰げば尊し 」というパターンで固まっているでしょう。
 実はぼくの中学の卒業式(65年前=昭和28年3月)では「蛍の光」を歌いませんでした。ショパンの「別れの曲」の合唱でした。敗戦後のあの時期は、明治以来国民を教化してきた軍国主義の反省として、古い慣習を打ち破ろうとする力が学校にはありました。
 それが保守的な地域の雰囲気でいつの間にか「送辞・答辞・蛍の光・仰げば尊し」のパターンに戻っていました。しかしそんな古い体質はもう変化しています。どんなにあがいても、強権を発動しても、元には戻りません。魅力的な新しい卒業ソングを駆逐することはできません。「以上総代:○○▽▽」と省略してしまうことはできません。一人一人を大切にする式の流れはしっかり根づいています。
 未来への力強い流れを感じました。
コメント
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