推理小説作家・西村京太郎は昨年末現在596冊の本を出しているそうですが、ぼくは一冊も読んだことがありません。「列車の時刻表をめくるトラベル・ミステリーばかりだろう 」と思って。でも図書館で見かけた『15歳の戦争』という題名と「陸軍幼年学校・最後の生徒」という副題に魅かれて、借りて読みました。
昭和5年に生まれて、敗戦のとき15歳だった少年は、どんな愛国の念にかられて陸軍幼年学校に入ったのか。
「陸軍幼年学校」といえば『帰らざる夏』という、作家・加賀乙彦(昭和4年生れ)の等身大の小説があります。純粋培養された愛国少年は、日本が負けた日に、小説の中で自決しなければ、その後の人生を生きていけませんでした。
昭和2年生れで、愛国の念にかられて海軍・予科練に志願入隊した作家・城山三郎は、日本が戦争に負けたとき「私は廃墟になって生きた」と書いています。(『そうか。きみはもういないのか』)
昭和4年生れの西村京太郎は、86歳になってから人生を振り返り、幼年学校志願をこんなふうに書いています。
昭和20年(8月に日本が負けた年)2月から全ての中学校は、とうとう授業が中止になり、生徒は、軍需工場に働きにいく命令が出た。
私も中学生だったが、東京の大崎にあるモーターの工場へ行くことになった。その時に、いろいろと考えた。子供が純粋で損得など考えないというのは嘘である。
これから、どうするのが、一番トクかを考えるのだ。どうせ19歳になれば(徴兵されて=赤紙が来て)、兵隊になるのだが、階級は、一番下の初年兵(二等兵)である。やたらに、殴られると聞いていた。それなら、早くから兵隊になった方がトクに違いない。少年飛行兵の募集の、営養は「500キロカロリーも多い」というのには、惹かれた。毎日、腹を空かせているのだから。ただ、訓練は1年から2年と短いのが気になった。それでは、下士官止まりで、戦場に行くことになってしまう。
それで、考えたのが、陸軍幼年学校(陸幼)だった。明治からある学校で、卒業すると、そのあと、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)と進んで、少年兵の方は下士官だが、こちらは、大将にもなれる。そこで東京陸軍幼年学校(東幼)を受験することにした。
…… 政府も軍部も「本土決戦」を叫んでいるから、当分戦争は続くだろう。いつまで続くかわからないから、考えても仕方がない。
次は自分のことだ。19歳になったら、嫌でも兵士になって、戦場に行くわけだから、それまでに、兵士でなく、将校になっていよう。これが、当時、私の頭にあった全てである。
幼年学校は100倍超のすごい志願者だったともきいていますが、西村京太郎は淡々と語っています。敗戦・廃校までわずか4ヵ月半の学校生活でした。
あの時代の空気の中にあって、こんなふうに現実を見ている少年たちもいっぱいいたのでしょう。満蒙開拓青少年義勇軍だった方々に聞き取りをしていた頃「幼年学校をあきらめて義勇軍に志願した」という方に出会ったことがあります。
昭和5年に生まれて、敗戦のとき15歳だった少年は、どんな愛国の念にかられて陸軍幼年学校に入ったのか。
「陸軍幼年学校」といえば『帰らざる夏』という、作家・加賀乙彦(昭和4年生れ)の等身大の小説があります。純粋培養された愛国少年は、日本が負けた日に、小説の中で自決しなければ、その後の人生を生きていけませんでした。
昭和2年生れで、愛国の念にかられて海軍・予科練に志願入隊した作家・城山三郎は、日本が戦争に負けたとき「私は廃墟になって生きた」と書いています。(『そうか。きみはもういないのか』)
昭和4年生れの西村京太郎は、86歳になってから人生を振り返り、幼年学校志願をこんなふうに書いています。
昭和20年(8月に日本が負けた年)2月から全ての中学校は、とうとう授業が中止になり、生徒は、軍需工場に働きにいく命令が出た。
私も中学生だったが、東京の大崎にあるモーターの工場へ行くことになった。その時に、いろいろと考えた。子供が純粋で損得など考えないというのは嘘である。
これから、どうするのが、一番トクかを考えるのだ。どうせ19歳になれば(徴兵されて=赤紙が来て)、兵隊になるのだが、階級は、一番下の初年兵(二等兵)である。やたらに、殴られると聞いていた。それなら、早くから兵隊になった方がトクに違いない。少年飛行兵の募集の、営養は「500キロカロリーも多い」というのには、惹かれた。毎日、腹を空かせているのだから。ただ、訓練は1年から2年と短いのが気になった。それでは、下士官止まりで、戦場に行くことになってしまう。
それで、考えたのが、陸軍幼年学校(陸幼)だった。明治からある学校で、卒業すると、そのあと、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)と進んで、少年兵の方は下士官だが、こちらは、大将にもなれる。そこで東京陸軍幼年学校(東幼)を受験することにした。
…… 政府も軍部も「本土決戦」を叫んでいるから、当分戦争は続くだろう。いつまで続くかわからないから、考えても仕方がない。
次は自分のことだ。19歳になったら、嫌でも兵士になって、戦場に行くわけだから、それまでに、兵士でなく、将校になっていよう。これが、当時、私の頭にあった全てである。
幼年学校は100倍超のすごい志願者だったともきいていますが、西村京太郎は淡々と語っています。敗戦・廃校までわずか4ヵ月半の学校生活でした。
あの時代の空気の中にあって、こんなふうに現実を見ている少年たちもいっぱいいたのでしょう。満蒙開拓青少年義勇軍だった方々に聞き取りをしていた頃「幼年学校をあきらめて義勇軍に志願した」という方に出会ったことがあります。