『トム・ソーヤの冒険』は子どもの頃ワクワクして読んだ本です。冒険心は年寄りになっても燃えカスがくすぶり、野山で秘密の小屋を作って遊んでみたい欲望があります。
トム・ソーヤならぬ「トム・ジーヤ」ということか。
そんな「トム・ジーヤ夢の跡」の写真です。
大雨の降った日、小やみになってから軽トラで〈美嚢川〉を見てまわり、川向いの山すそで撮りました。雑草や竹の茂るにまかせた小屋があります。どこかのトム・ジーヤが街からやってきて、作りかけた小屋です。
作ったのは10年近く前です。ここ7,8年はほったらかしで、小屋の中に竹が生え、竹が倒れかかり、荒れたままです。
人間のDNAの中には「野性的な遊び」の欲望がひそんでいます。でも子どもの遊びが成長するにつれて変わるように、トム・ジーヤもそんな遊びに飽きてしまいます。しかし「家のすぐ裏の山を里山風にする」ことをめざす山仕事は、なかなか飽きません。次々と欲が出て、きれいにしたくなります。
1995年~1997年は篠山にアパートを借りて暮らしました。そのとき「訪れる」と「暮らす」は天と地ほど違うことを実感しました。あの「篠山暮らし」はいま思い出しても「ほんとによかった」。
田舎の時間の流れ、空気、味わい。そんな空気にいまもつつまれて、しあわせです。
トム・ソーヤならぬ「トム・ジーヤ」ということか。
そんな「トム・ジーヤ夢の跡」の写真です。
大雨の降った日、小やみになってから軽トラで〈美嚢川〉を見てまわり、川向いの山すそで撮りました。雑草や竹の茂るにまかせた小屋があります。どこかのトム・ジーヤが街からやってきて、作りかけた小屋です。
作ったのは10年近く前です。ここ7,8年はほったらかしで、小屋の中に竹が生え、竹が倒れかかり、荒れたままです。
人間のDNAの中には「野性的な遊び」の欲望がひそんでいます。でも子どもの遊びが成長するにつれて変わるように、トム・ジーヤもそんな遊びに飽きてしまいます。しかし「家のすぐ裏の山を里山風にする」ことをめざす山仕事は、なかなか飽きません。次々と欲が出て、きれいにしたくなります。
1995年~1997年は篠山にアパートを借りて暮らしました。そのとき「訪れる」と「暮らす」は天と地ほど違うことを実感しました。あの「篠山暮らし」はいま思い出しても「ほんとによかった」。
田舎の時間の流れ、空気、味わい。そんな空気にいまもつつまれて、しあわせです。