古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

メロンをお供えしました。

2021年05月21日 11時16分48秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は下の弟の命日でした。
 弟は神戸の公団住宅で独り暮らしをしておりました。存命だった母の誕生日には4人の兄弟と連れ合いが我が家にあつまって、お祝いしました。道子さんとぼくが蟹旅行などで外泊するときは、神戸の弟に頼んで、母のお守をしてもらいました。
 ときどき母が電話を掛けたり、ぼくが掛けたりして「元気に暮らしている」と思っておりました。残された〈十年連用日記〉を見ると、亡くなる少しまえから体調がわるかったようです。4月に電話したときはなにもいいませんでしたが。
 2017年5月20日、弟は昼から買い物に出掛け、2時頃に帰宅しました。玄関前に買い物の荷物を置き、ポケットから鍵を取り出して公団住宅の鉄のドアを開けました。
 買い物をとり入れるまえに、喉が乾いてなにか飲んだのでしょうか。そこで急性心筋梗塞で倒れ、ドアは閉まり、そのまま亡くなったようです。ぼくがそれを見たように書くのは、検死をした警察の方が家を調べ、買い物やレシートを見て、推測したことです。
「ドアの前に買い物がある。この人は旅行に出掛けたのか。荷物を片づけてほしい」と住宅公団のほうから数日後に電話がありました。ぼくは三木の家から神戸に出掛け、公団住宅に行ってみました。ドアは閉まっています。ドアの前に買い物が置いてありました。チャイムを鳴らしましたが応答がありません。
 ドアノブをまわしてみました。ドアが開く。玄関の向こうに弟が倒れてる。抱き起して名前を呼びましたが反応がありません。動転して電話で119番救急車を呼びました。救急車は来ましたが調べて「亡くなっておられます。警察を呼びますから待っていてください」といわれました。
 警察の現場調べは長い時間かかりました。ぼくは公団住宅の3階の階段で長い間待ちました。
 葬儀をすませてから弟の住宅を片づけに行きました。買い物にメロンがありました。冷蔵庫にはスイカが冷えていました。弟はまえからスイカもメロンも好きでした。
 亡くなってから時間が経過して、こんなふうに書けるようになりました。

 メロンをお供えして、道子さんに阿弥陀経をあげてもらいました。
 横の写真ボードは、亡くなった身内や親友などの写真です。毎朝この仏壇で拝んでいます。
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