古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

もう一人の「ある女性」

2021年07月06日 03時56分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 NHKのテレビ番組「プロジェクトX」で、大変な苦労をして電気釜を日本の主婦におくった〈町工場社長の奥さん〉を紹介しました。(NHKの本を引用して)
 もう一人、そんな女性のことを書きます。名前は『御木本うめ』。真珠の養殖をはじめた御木本幸吉の嫁さんです。
 ぼくが知ったのは就職して2年目でした。夏の職員旅行で伊勢志摩に行き、ミキモト真珠島で、御木本幸吉の生涯を見ました。彼がはじめて養殖真珠をつくった「苦労」がよく伝わる展示でした。
〈うめ〉は17歳で御木本幸吉のもとに嫁ぎ、五人の子どもを産み、夫の「真珠養殖への思い」を実現させようと苦労しました。賢い女でした。家業のうどん屋をもりあげ、夫の夢をささえ、真珠への夢を手伝いました。
 赤潮で死んでしまったあこや貝をねばりづよくこじあけて、半円真珠を見つけたのもうめの手柄でした。うめは、養殖の半円の真珠ができるようになったあと、32歳で病死します。
 御木本幸吉はその後、真円(まん丸)真珠養殖に成功し、世界中に真珠をひろめます。うめが亡くなったとき幸吉は38歳でした。それから96歳まで元気に生きます。お金持ちの著名人になり、世の為、人の為に、さまざまな事業をやります。
 まわりの人は幸吉に「再婚」をすすめます。外国の要人たちが真珠島を訪れるのに、もてなしに妻の存在は大事です。しかし幸吉はうめの死後、その話に耳をかしませんでした。
 展示には、うめの銅像もあります。うめと二人で、死んでしまったあこや貝をこじ開けている絵も掛けてあります。幸吉は、うめを失ったこころをなぐさめようと盛大な法要をします。そこにこんな文が書いてありました。幸吉の言です。「いくら盛大な法要をしても、こころのさびしさはいかんともしがたい」。 (そんな趣旨の文だったと思います)
 そういう出会い方をする人もいる。つよくこころに残っています。
 
 
コメント
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