古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「0」のつく日に〈ツル返し〉をします。

2021年07月20日 17時07分15秒 | 古希からの田舎暮らし
 サツマイモの〈ツル返し〉を「0」(零)のつく日にすることに決めました。今日は20日。朝ツル返しをしました。

 先日と反対側にツルを返しました。25センチ幅の畔シートが見えます。しかしサツマイモのツルはシートを越えて土に根をおろしていました。

 雨がよく降ったし、10日もすればよく根をおろしているものですね。
 午後は昼寝をしました。そして「大豆の畝の草取り/土寄せ/をしようかな」と腰をあげたら、すごい夕立が降ってきました。今日は太陽が強烈でしたから、この夕立は実に「ありがたかった」です。毎日夕立が降れば、最高にしあわせですけど、どうでしょう。 
 そうだ。龍神さまにしばらくお参りしてません。ここはお願いしなくては。
 毎朝5時前に起きて東の空を眺めます。今日の朝です。

「太陽はすごいな」と眺めていました。これから晴れの日が多くなり、毎朝がたのしみです。
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東条英機について  その②

2021年07月20日 04時07分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山の芝生を刈りました。7月7日に刈ってから12日目です。8月いっぱいはよく伸びますから2週間以内に刈るのがいい。次は8月1日に刈ろう。
 芝生の地面にハマスゲが生えています。最強の雑草です。根と根が地中でつながり、根から抜いても根絶できません。ゴルフ場では「ハマスゲが生えたら、芝生をはがして新しい芝生をはるしかない」といいます。うちはどうするか。様子をみます。

『アジア・太平洋戦争』(吉田裕 著/岩波新書)の東条英機の項から引用します。昨日は彼が国民に人気がありぼくが愛国少年だったら憧れただろう」という部分を引用しました。 
その② 東条英機は「目上の人にとり入る」のがうまかった。小まめに内奏(天皇に会って時局の様子を伝える)して、天皇の心をつかみました。また宮家の人たちには立派な贈り物をしていました。その部分を引用します。

 東条内閣の最大の政治的資産としては、(昭和)天皇のつよい支持と信頼とを獲得していたことがあげられる。東条首相が天皇の信頼をかちえることができたのは、東条が天皇の意向を直接国政に反映させようと常に努力したからである。東条は、重要な政策決定に際しては、小まめに内奏をくり返し、事前に天皇の意向を確認した上で、政治的決断を行なうという政治スタイルを崩さなかった。
 敗戦後になっても、(昭和)天皇の東条への信頼は変わらなかった。敗戦直後に、天皇の直話を基にして側近が作成した「昭和天皇独白録」は、今日では、東京裁判向けの天皇の弁明の書として知られている。この「独白録」の中で、天皇は東条内閣を支持し続けた理由についてさまざまな弁明を試みているが、「元来、東条という人物は、話せばよく判る」、「東条は一生懸命仕事をやるし、平素云ってゐることも思慮周密で中々良い処があった」、「私は東条に同情してゐる」といった天皇の発言からは、天皇の東条に対する信頼の厚さを読みとることができる(昭和天皇独白録 寺崎英成・御用掛日記)。

 政治資金の面でも、東条首相は有利な立場にあった。陸相として陸軍省の機密費を自由に使うことが出来たからである。 (中略) 東条首相の政治資金の潤沢さについては、44年(昭和19年)10月15日に、反東条運動の中心となっていた政党政治家の鳩山一郎が、近衛文麿と吉田茂(戦後の首相)との会談の中で語っている内容が参考になる。同席していた細川護貞は、その内容を次のように記録している。(細川日記)
  
 一体に宮内省奥向に東条礼賛者あるは、附け届けが極めて巧妙なりとの話(鳩山より)出で、例えば秩父、高松両殿下に自動車を秘かに献上し、枢密顧問官には会毎に食物、衣服等の御土産あり、中に各顧問官夫々のイニシアル入りの万年筆も交りありたりと。又牧野(伸顕元内大臣)の所には、常に今も尚贈り物ある由。

 この後、鳩山は、「東条の持てる金は16億円なり」と語り、近衛は東条の資金源は、中国でのアヘンの密売からあがる収益だと指摘している。  (中略)  皇族への「附け届け」については、史料的に確認することができる。42年(昭和17年)12月30日付の「東久邇宮稔彦日記」に、「この度、陸軍大臣より各皇族に自動車をさし上げる事となれり」とあり、この日、東久邇宮のところには、陸軍省関係者から、アメリカ製の自動車が届けられているからである。日記によれば、この自動車は陸軍がジャワ島で押収したものだとされている。いずれにせよ、東条がなかり豊富な政治資金を有していたのは、確かなことのようだ。

※ アメリカと戦争してるときでしょ。モノのなかったあの時代に「アメリカ製の自動車を贈る」ってどういうこと? 東条は庶民のゴミ箱をあさり、「これはまだ食えるのに捨てるのか」というようなスタンド・プレーもしたそうですし。
 また東条は、「竹槍事件」のような陰湿な、許せないイジメもありました。(「竹槍事件」はこのブログに書いたことがあります。いつのブログか、うまく探せないけど、ネットで検索すれば出てくる有名な事件です。ぼくはこの事件を知って、東条を「許せない!」と思いました。いまこの本を読んで、その思いを新たにしました。)
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