一橋大学教授・吉田裕の『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)を読んでいます。この本にはコメントがいっぱい寄せられています。「大学生の必読書にしてほしい」/「右にも左にも寄らない好書」/「あの戦争がよくとらえられてる」/「簡潔に戦争の全体像をとらえてる」……。(いつものようにマイナスの評価をする人も少しいますが)
ぼくがコメントを寄せるなら「〈あの戦争〉について書いた多くの本が泡のように消えてしまっても、この本は100年後にも広く読まれます」。
吉田裕という歴史家を、はじめて知ったのは『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)でした。
吉田裕は1954年(昭和29年)生れです。「戦後生れ」です。
「戦争のあとで生まれた人があの戦争のことを研究して書く時代になったんだ。自分は戦争は体験してない。生存者に聞こうにも、生存者はほとんどいなくなった。あの戦争のことを書いた資料を読みあさり、研究して、この本を書いたんだ。」
戦前生れのぼくも戦争の体験者とは言えません。田舎の山奥の子どもでしたから。でも例えば、〈インパール作戦〉の牟田口廉也の「強引なやり方」を読むと腹が立ちます。しかし後世の歴史家だったら、おそらく腹を立てないでしょう。歴史を冷静に見つめます。「そんなヒドイことをしたのか。けしからん」と織田信長や斎藤道三に腹を立てないのと同じです。
人生(生身の人間)が「歴史に送り込まれる」。そんな時代になりました。吉田裕は、あの戦争/あの時代/あの世相/を簡潔に、しっかり書いていますが、著者の〈腹立ち〉は感じさせません。
おだやかな書き方ですが切れ味はすごい。著者に敬意を表します。少し引用してみましょう。
東条英機自身も、戦局を挽回できないといういらだちのなかで、神経をたかぶらせ、感情的な言動が目立つようになる。東条内閣に批判的な新聞記者などの「懲罰召集」、東条反対派の軍人に対する激戦地への転任命令、中野正剛などの政敵に対する徹底した弾圧、新聞報道への異常な関心と執拗な検閲要請、等々はよく知られている。なお、中野正剛は憲兵隊の取り調べをうけた後に割腹自殺している。 …… (毎日新聞記者の「竹槍事件」は有名です。権力者の陰湿ないじめです)
同時に、極端な精神主義への傾斜が周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買うようにもなった。 ……
陸軍の内部においてさえ、東条は明らかに空回りしつつあった。
ぼくがコメントを寄せるなら「〈あの戦争〉について書いた多くの本が泡のように消えてしまっても、この本は100年後にも広く読まれます」。
吉田裕という歴史家を、はじめて知ったのは『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)でした。
吉田裕は1954年(昭和29年)生れです。「戦後生れ」です。
「戦争のあとで生まれた人があの戦争のことを研究して書く時代になったんだ。自分は戦争は体験してない。生存者に聞こうにも、生存者はほとんどいなくなった。あの戦争のことを書いた資料を読みあさり、研究して、この本を書いたんだ。」
戦前生れのぼくも戦争の体験者とは言えません。田舎の山奥の子どもでしたから。でも例えば、〈インパール作戦〉の牟田口廉也の「強引なやり方」を読むと腹が立ちます。しかし後世の歴史家だったら、おそらく腹を立てないでしょう。歴史を冷静に見つめます。「そんなヒドイことをしたのか。けしからん」と織田信長や斎藤道三に腹を立てないのと同じです。
人生(生身の人間)が「歴史に送り込まれる」。そんな時代になりました。吉田裕は、あの戦争/あの時代/あの世相/を簡潔に、しっかり書いていますが、著者の〈腹立ち〉は感じさせません。
おだやかな書き方ですが切れ味はすごい。著者に敬意を表します。少し引用してみましょう。
東条英機自身も、戦局を挽回できないといういらだちのなかで、神経をたかぶらせ、感情的な言動が目立つようになる。東条内閣に批判的な新聞記者などの「懲罰召集」、東条反対派の軍人に対する激戦地への転任命令、中野正剛などの政敵に対する徹底した弾圧、新聞報道への異常な関心と執拗な検閲要請、等々はよく知られている。なお、中野正剛は憲兵隊の取り調べをうけた後に割腹自殺している。 …… (毎日新聞記者の「竹槍事件」は有名です。権力者の陰湿ないじめです)
同時に、極端な精神主義への傾斜が周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買うようにもなった。 ……
陸軍の内部においてさえ、東条は明らかに空回りしつつあった。