図書館で本を借りるとき、近ごろ新書本の棚に行くようにしています。岩波新書/ちくま新書/中公新書/が上から下までいっぱい。3冊くらい借ります。『戦争で死ぬ、ということ』(島本慈子・著 2006年発行/岩波新書)に手が伸びて、借りました。そして一気に読んでしまいました。
島本慈子さんは1951年(昭和26年)生まれのノンフィクション・ライターです。日本があの戦争に敗けて6年後に生まれた人です。そんな人が「戦争で死ぬ」をどう書くのだろう。自分が体験したことでないのに。
そんな気持ちでしたが「まー、読んでみよう」と借りました。
読みはじめるとぐいぐい引き込まれました。老いて「読むのが遅くなった」のに二日で読みました。すごい本でした。島本慈子さんは、たくさんの戦争体験記を読み込んで、あの戦争体験を追体験し、むのたけじ、城山三郎、その他体験者に誠意をこめて取材して書いておられます。
まず知って驚いたのは『伏龍特攻隊』のことでした。あの戦争の歴史はいろんな本を読んでいますが、神風特攻隊/人間魚雷《回天》/にはふれてあっても、『伏龍特攻隊』というのははじめて知りました。「新兵器」とも「丸秘新作戦」とも呼べないお粗末なもので、実戦には役立ちませんでしたが、生身の少年をつかって作戦訓練をして、何十人も死なせています。「よくもこんなお粗末なことを考えたな」と腹が立ちます。伏龍特攻隊についてはネットを参照してください。
引用したいところはいっぱいありますが、一か所だけ引用します。ぼくは、昭和16年12月の真珠湾攻撃のニュースは4歳でしたから知りません。でもあのとき15歳の少年だったら「血沸き肉踊る愛国少年になっていただろう」と軽々しく書いてきました。でも目の前で爆弾が破裂し、人間がくだけて肉や血が飛び散ったら、そんな思いはいっぺんに吹っ飛んで恐怖に震えるだけになるでしょう。内地で、戦地の兵隊さんに励ましの手紙を書いた女学生は、何もいえなくなるでしょう。それを島本さんはつぎのように書いています。
最近は男性のみならず女性の間でも、戦争への抵抗感が薄れてきていることは間違いない。インターネットの掲示板には、女性の名前で「爆撃せよ」などという粗雑な言葉が書き込まれている。「爆撃」という言葉から、具体的な「人の死」をイメージしていない。 (中略) いまはまだ局所的にではあるが、戦争応援団の再生がはじまっている。
1945年(昭和20年)の終戦時に高等学校の三年生だった芹沢茂登子は、自分自身が戦時下に書いた日記を分析した『軍国少女の日記』で、出征する父との別れにすら悲しみの感情がわかなかった当時の自分を振りかえり、
「私が頭のてっぺんから足の爪先まで軍国少女に染まっていたのはどうしてなのか」 (中略)
ときわめて誠実に問いかけている。そして、そうなってしまった理由として、教育者が戦争を正当化していたこと、報道が戦争の遂行に都合の悪い事実は一切伝えなかったこと、家庭のなかにも戦争反対の雰囲気がなかったこと、個人的には読書量が少なく物事を深く多角的に考える習慣がなかったこと …… などを挙げている。
右の条件をそろえることはたやすい。軍国少女は簡単につくられる。
いま再び軍国少女の生産を許し、その間違いに気づくためにはまた大量の死を必要とするというなら、日本の女はおろかというほかない。
島本さんがこの文を書き、本が出たのは2006年である。それから15年。ここに書かれた〈おそれ〉は強まりこそすれ、薄くなっていない。のではないか? 戦争を戦うのは男だが悲しい目に合うのは女だ。
島本慈子さんは1951年(昭和26年)生まれのノンフィクション・ライターです。日本があの戦争に敗けて6年後に生まれた人です。そんな人が「戦争で死ぬ」をどう書くのだろう。自分が体験したことでないのに。
そんな気持ちでしたが「まー、読んでみよう」と借りました。
読みはじめるとぐいぐい引き込まれました。老いて「読むのが遅くなった」のに二日で読みました。すごい本でした。島本慈子さんは、たくさんの戦争体験記を読み込んで、あの戦争体験を追体験し、むのたけじ、城山三郎、その他体験者に誠意をこめて取材して書いておられます。
まず知って驚いたのは『伏龍特攻隊』のことでした。あの戦争の歴史はいろんな本を読んでいますが、神風特攻隊/人間魚雷《回天》/にはふれてあっても、『伏龍特攻隊』というのははじめて知りました。「新兵器」とも「丸秘新作戦」とも呼べないお粗末なもので、実戦には役立ちませんでしたが、生身の少年をつかって作戦訓練をして、何十人も死なせています。「よくもこんなお粗末なことを考えたな」と腹が立ちます。伏龍特攻隊についてはネットを参照してください。
引用したいところはいっぱいありますが、一か所だけ引用します。ぼくは、昭和16年12月の真珠湾攻撃のニュースは4歳でしたから知りません。でもあのとき15歳の少年だったら「血沸き肉踊る愛国少年になっていただろう」と軽々しく書いてきました。でも目の前で爆弾が破裂し、人間がくだけて肉や血が飛び散ったら、そんな思いはいっぺんに吹っ飛んで恐怖に震えるだけになるでしょう。内地で、戦地の兵隊さんに励ましの手紙を書いた女学生は、何もいえなくなるでしょう。それを島本さんはつぎのように書いています。
最近は男性のみならず女性の間でも、戦争への抵抗感が薄れてきていることは間違いない。インターネットの掲示板には、女性の名前で「爆撃せよ」などという粗雑な言葉が書き込まれている。「爆撃」という言葉から、具体的な「人の死」をイメージしていない。 (中略) いまはまだ局所的にではあるが、戦争応援団の再生がはじまっている。
1945年(昭和20年)の終戦時に高等学校の三年生だった芹沢茂登子は、自分自身が戦時下に書いた日記を分析した『軍国少女の日記』で、出征する父との別れにすら悲しみの感情がわかなかった当時の自分を振りかえり、
「私が頭のてっぺんから足の爪先まで軍国少女に染まっていたのはどうしてなのか」 (中略)
ときわめて誠実に問いかけている。そして、そうなってしまった理由として、教育者が戦争を正当化していたこと、報道が戦争の遂行に都合の悪い事実は一切伝えなかったこと、家庭のなかにも戦争反対の雰囲気がなかったこと、個人的には読書量が少なく物事を深く多角的に考える習慣がなかったこと …… などを挙げている。
右の条件をそろえることはたやすい。軍国少女は簡単につくられる。
いま再び軍国少女の生産を許し、その間違いに気づくためにはまた大量の死を必要とするというなら、日本の女はおろかというほかない。
島本さんがこの文を書き、本が出たのは2006年である。それから15年。ここに書かれた〈おそれ〉は強まりこそすれ、薄くなっていない。のではないか? 戦争を戦うのは男だが悲しい目に合うのは女だ。