数年前に西村京太郎の『十五歳の戦争』という自伝を読んだことを、ブログに書きました。図書館で借りた本です。また読みたくなり「図書館で借りよう」と本棚をさがしました。彼の著作がずらっと並んでいます。何度も見直すのですがありません。西村京太郎は六百冊以上の本を書いていますから、さがすのもラクでない。
仕方がないのでアマゾンに注文することにしました。値段1円から多くの中古本が出品されています。送料200円あまり。愛読書にするわけではありませんが、昭和5年生まれで九十一歳になるおじいさんの自伝を、また読んでみたくなったのです。1円では申し訳ない気がして、36円の本を注文しました。何の意味もないけど。
本の副題は『十五歳の戦争』……陸軍幼年学校「最後の生徒」……となっています。陸軍幼年学校については加賀乙彦の長編小説『帰らざる夏』にとりつかれて三度読み返しました。昭和16年は4歳になったところで何もわかりませんが、もし15歳になっていたらぼくも熱烈な愛国少年になっていたでしょう。
退職後数年、あの戦争志願者に聞き取りをしてまわりました。篠山出身で敗戦の年に予科練に入った人が「国民学校の児童で、〈兵隊になることを希望しない〉男の子は二人だけだった。一人は〈一人っ子〉で病気がちの親を残していけないし、もう一人は〈親が左官で後をつぐ者がいなかった〉。あとの男児はみんな、兵隊さんになることを希望した」と話しました。彼は予科練に入って数カ月で敗戦になり、郷里に帰ってきました。着るものがなくて予科練の服で篠山の町を歩いていたら、篠山連隊の兵隊が立ち止まって敬礼したそうです。
で、西村京太郎はどうなのか。こう書いています。
昭和20年2月から全ての中学校は、とうとう授業が中止になり、生徒は、軍需工場に働きにいく命令が出た。
私も中学生だったが、東京の大崎にあるモーターの工場へ行くことになった。その時に、いろいろと考えた。子供が純粋で損得など考えないというのは嘘である。
これから、どうするのが一番トクかを考えるのだ。どうせ19歳になれば、兵隊になるのだが、階級は、一番下の初年兵(二等兵)である。やたらに、殴られると聞いていた。それなら、早くから兵隊になった方がトクに違いない。少年飛行兵の募集の、栄養は「五百キロカロリーも多い」というのには、惹かれた。毎日、腹を空かせているのだから。ただ、訓練は一年から二年と短いのが気になった。それでは、下士官止まりで、戦場に行くことになってしまう。
それで、考えたのが、陸軍幼年学校(陸幼)だった。明治からある学校で、卒業すると、そのあと、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)と進んで、少年兵の方は下士官だが、こちらは、大将にもなれる。そこで東京陸軍幼年学校(東幼)を受験することにした。満十四歳。いわゆる「星の生徒」である。
さらっと書いていますが、幼年学校は倍率百倍超の難関でした。そのための塾もありました。西村京太郎の文章は、句読点が多く、サラッと読めてしまいます。「そんなに簡単に書いてエエんか」と思いますけど。こんな考え方をする少年もいたのですね。70年以上むかしのことを書いているので、わかりませんけど。オモシロイおじいさんです。 (この項つづく)
仕方がないのでアマゾンに注文することにしました。値段1円から多くの中古本が出品されています。送料200円あまり。愛読書にするわけではありませんが、昭和5年生まれで九十一歳になるおじいさんの自伝を、また読んでみたくなったのです。1円では申し訳ない気がして、36円の本を注文しました。何の意味もないけど。
本の副題は『十五歳の戦争』……陸軍幼年学校「最後の生徒」……となっています。陸軍幼年学校については加賀乙彦の長編小説『帰らざる夏』にとりつかれて三度読み返しました。昭和16年は4歳になったところで何もわかりませんが、もし15歳になっていたらぼくも熱烈な愛国少年になっていたでしょう。
退職後数年、あの戦争志願者に聞き取りをしてまわりました。篠山出身で敗戦の年に予科練に入った人が「国民学校の児童で、〈兵隊になることを希望しない〉男の子は二人だけだった。一人は〈一人っ子〉で病気がちの親を残していけないし、もう一人は〈親が左官で後をつぐ者がいなかった〉。あとの男児はみんな、兵隊さんになることを希望した」と話しました。彼は予科練に入って数カ月で敗戦になり、郷里に帰ってきました。着るものがなくて予科練の服で篠山の町を歩いていたら、篠山連隊の兵隊が立ち止まって敬礼したそうです。
で、西村京太郎はどうなのか。こう書いています。
昭和20年2月から全ての中学校は、とうとう授業が中止になり、生徒は、軍需工場に働きにいく命令が出た。
私も中学生だったが、東京の大崎にあるモーターの工場へ行くことになった。その時に、いろいろと考えた。子供が純粋で損得など考えないというのは嘘である。
これから、どうするのが一番トクかを考えるのだ。どうせ19歳になれば、兵隊になるのだが、階級は、一番下の初年兵(二等兵)である。やたらに、殴られると聞いていた。それなら、早くから兵隊になった方がトクに違いない。少年飛行兵の募集の、栄養は「五百キロカロリーも多い」というのには、惹かれた。毎日、腹を空かせているのだから。ただ、訓練は一年から二年と短いのが気になった。それでは、下士官止まりで、戦場に行くことになってしまう。
それで、考えたのが、陸軍幼年学校(陸幼)だった。明治からある学校で、卒業すると、そのあと、陸軍士官学校(陸士)、陸軍大学校(陸大)と進んで、少年兵の方は下士官だが、こちらは、大将にもなれる。そこで東京陸軍幼年学校(東幼)を受験することにした。満十四歳。いわゆる「星の生徒」である。
さらっと書いていますが、幼年学校は倍率百倍超の難関でした。そのための塾もありました。西村京太郎の文章は、句読点が多く、サラッと読めてしまいます。「そんなに簡単に書いてエエんか」と思いますけど。こんな考え方をする少年もいたのですね。70年以上むかしのことを書いているので、わかりませんけど。オモシロイおじいさんです。 (この項つづく)