古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

西村京太郎『十五歳の戦争』より引用します。 (4)

2021年12月10日 18時05分45秒 | 古希からの田舎暮らし
 あの戦争に関する西村京太郎の見解は素人論議ですが、幼年学校生徒として実際に体験したことは見逃せません。長くなりますが、十五歳の西村少年が体験した事実を引用します。

 8月15日の玉音放送を、焼け跡のラジオで聞いた。
 なんとなく、日本が敗けたらしいと聞いていたので、驚きはしなかったが、何か、叫びたくなって、
「東絛のバカヤロー」
 とか、
「あいつのせいで、敗けたんだ!」
 と、叫んだ。東絛は、東京陸軍幼年学校の先輩である。   (中略)

 東京陸軍幼年学校では、遠方から入校している生徒から、帰宅が始まった。私のような東京の生徒は、最後まで残された。
 残った生徒たちは、だらだらせず、校庭で、毎日、体操や駆け足で、身体を鍛えることになった。    (中略)

 8月29日に、私も、やっと帰宅することができた。
 生徒監は、私たちに、倉庫にあった新しい軍服を着せ、毛布を丸めて背負わせた。戦後の物のない時代、軍服は黒く染めて、ジャンパーとして、しばらく着ていた。
 しかし、倉庫にはもっと大量の食糧や、衣服があった筈である。それはどうなったのか。
 玉音放送のあと、何台ものトラックがやってきた。
 呼んだのは、生徒監や下士官たちである。大型トラックに倉庫にあった大量の食糧や、衣服を積み込んで、何処かへ運び出していった。それを見ていた私たちに向かって、生徒監が、トラックの上から、大声でいった。
「これは、アメリカの連中に渡さないように隠しておく。臥薪嘗胆。われわれが、再び立ち上る時のためだ」
 私たちは、その言葉を素直に受け取って、トラックに積み込むのを手伝ったりしたのだが、今から考えると、臥薪嘗胆は明らかに、嘘だと思う。
 アメリカに渡さないというのは、本心だろうが、自分たちの生活のために、運んだのは、間違いない。生徒監の一人は、戦後の闇市で、あの品物を使って成功しているからだ。
 となると、私たちが貰った軍服や、毛布は、口止めだったかも知れない。
 いずれにしろ、私の五カ月間の東京陸軍幼年学校生活は、終った。

 西村少年は、少年時代のことをさらっと書いています。しかし、ドサクサに紛れて物資を隠したり、ひどいことをしたことに口をぬぐったり、卑怯な軍人がいました。威張りくさった在郷軍人もいました。えらそうにした町や村の役人もいました。学校には「配属将校」もいました。生徒や教師を怒鳴りつけ、軍事教練でしごいていました。
 戦時中の、そんな大人たちを、そして戦争に負けたら、口をぬぐったり、もうけたりした、大人たちを、日本の社会は告発しなかった。「一億総ざんげ」という言葉ですませようとした。ナチスを告発したドイツとちがう日本の敗戦後の事態を残念に思います。
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西村京太郎『十五歳の戦争』より引用します。 (3)

2021年12月10日 03時55分25秒 | 古希からの田舎暮らし
 西村京太郎『十五歳の戦争』より引用(その3)です。

 もう一つ、幼年学校の塀の内と外で、その違いに驚いたのは、私的制裁だった。
 軍隊では、制裁が日常化していると、よくいわれる。徴兵された初年兵は、毎日、理由もなく、古年兵から殴られると聞かされた。
 私も、幼年学校に入ると、上級生から殴られる覚悟をしていたのだが、一回も殴られたことはなかった。
「将校生徒なら、殴られなくても、自分で反省するだろう」というのが、制裁がない理由だった。

 この一節を読んでびっくりしました。
 志願して予科練に入った城山三郎は、殴られました。敗戦後彼は「廃墟となって生きた」と著作に書いています。
 兵隊にとられた男性は、例外なく私的制裁でいじめられました。15年前に90歳で亡くなった叔父さんは、召集されて朝鮮に渡りました。そこでいじめられた話を聞いたことがあります。柱にしがみついて蝉のようにとまり、「ミーンミンミン」と鳴く真似をする。四つん這いになり、その姿勢を保持するよう強制される。初年兵のそうした姿を上等兵などは笑って見ている。「鳴き方が下手だ」と殴る。自分がいじめられて、それをつぎつぎと初年兵にやらせる。
「突撃!」と叫んで、鉄砲に銃剣をつけて敵陣に突っ込ませる作戦では、上官/いじめた上等兵/は先頭に立たなかった。後ろから(いじめた兵隊に)撃たれるのを恐れました。また、戦争に負けてから、街角で兵隊がえりの人が突然殺されることがありました。兵隊の時にいじめられた初年兵の仕返しでした。結城昌治(推理小説作家)の作品にはそんな仕返しが出てきます。
 ところが、西村京太郎のこの文章。幼年学校に5カ月も在籍して、殴られたことがない。「ほんとに一回も殴られなかったのか」とびっくりします。「オレたちは一般国民とちがう。超エリートだ。オレたちがこの国を何とかしなくては」という思いあがった意識で、2・26事件も起こしたのでしょう。
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