朝ドラ『あぐり』は、ぼくの退職した年1997年に放送されました。どきどき見ていました。主人公のあぐりは90歳の美容師で、はじめの夫・エイスケはやく死亡し、再婚した夫も、あぐりが90歳のとき死亡しました。それで美容師・吉行あぐりは半生をドラマ化することに〈OK〉を出したです。
あぐりは3人の子供を生みました。長男の吉行淳之介は小説家になって芥川賞をもらい、70歳で亡くなりました。二女の吉行理恵は小説家・詩人で、やはり芥川賞をもらい、66歳で亡くなりました。
長女の俳優・吉行和子は生きており、あぐりと親子で暮らしていました。ところがあぐりは99歳のときにこけて〈寝たきり〉になりました。そこで和子は母の介護のために、俳優として稼ぎ、〈付き添い〉をつけて暮らしておりました。
あぐりは107歳で死亡しました。一人になった吉行和子は、本を書きました。
『そして、いま一人になった』(2019年 集英社)
その本から引用します。あぐりが骨折して〈寝たきり〉になり、同じマンション(別の号室)で暮らしているときのことを書いてます。あぐりは10年近く寝たきりですごしました。しかし、「老人の介護施設には絶対入らない」といいます。和子は俳優の仕事があるため、ヘルパーをつけました。
「あなた、私が死んだほうがいいと思ってるんじゃないの」と母が突然言ったことがある。
私はちょっと慌てたが、「なに言ってるの、そういうことは神様が決めてくださるんだから、私がどうこう思うことじゃないのよ」と答えると、「へぇ~、うまい答え考えたわね、頭いいじゃない」という。まったく油断ならない。
親しいかたがお見舞いにみえ、和子さんはよく面倒見てくれますか、と聞くと、「ときどき顔を出すわよ、死んだかナと見に来るみたい」と言ったそうだ。気丈なのは有難いが、こちらは、心が休まらない。
全く動けないのは本当にかわいそうだった。あれだけなんでもやりたがった人が、すべて他人様の手を借りなければならない。
死んでしまいたい、思っていたのだろう。しかし、なに一つ文句を言わなかった。ヘルパーさんは24時間態勢で、常にいてもらわなくてはならない。30人以上替わったけれど、みなさん、こんなに楽な家はなかったといってくださった。ヘルパーさん達もよい人が揃っていた。
それならなぜ替わるかというと、ヘルパーさん同士に相性があり、申し送りに問題が起こる。 ……
吉行和子は親子の〈やりとり〉をそのまま書いていますが、あぐりは、世話になってる娘に対して口はなかなか達者です。ほんとは親子の情愛はしっかりあるのですが(本を読めば)、それでもこんな〈やりとり〉をする。娘の和子は〈やりとり〉をそのまま書く。
なぜなのか、引用してみたくなりました。
あぐりは3人の子供を生みました。長男の吉行淳之介は小説家になって芥川賞をもらい、70歳で亡くなりました。二女の吉行理恵は小説家・詩人で、やはり芥川賞をもらい、66歳で亡くなりました。
長女の俳優・吉行和子は生きており、あぐりと親子で暮らしていました。ところがあぐりは99歳のときにこけて〈寝たきり〉になりました。そこで和子は母の介護のために、俳優として稼ぎ、〈付き添い〉をつけて暮らしておりました。
あぐりは107歳で死亡しました。一人になった吉行和子は、本を書きました。
『そして、いま一人になった』(2019年 集英社)
その本から引用します。あぐりが骨折して〈寝たきり〉になり、同じマンション(別の号室)で暮らしているときのことを書いてます。あぐりは10年近く寝たきりですごしました。しかし、「老人の介護施設には絶対入らない」といいます。和子は俳優の仕事があるため、ヘルパーをつけました。
「あなた、私が死んだほうがいいと思ってるんじゃないの」と母が突然言ったことがある。
私はちょっと慌てたが、「なに言ってるの、そういうことは神様が決めてくださるんだから、私がどうこう思うことじゃないのよ」と答えると、「へぇ~、うまい答え考えたわね、頭いいじゃない」という。まったく油断ならない。
親しいかたがお見舞いにみえ、和子さんはよく面倒見てくれますか、と聞くと、「ときどき顔を出すわよ、死んだかナと見に来るみたい」と言ったそうだ。気丈なのは有難いが、こちらは、心が休まらない。
全く動けないのは本当にかわいそうだった。あれだけなんでもやりたがった人が、すべて他人様の手を借りなければならない。
死んでしまいたい、思っていたのだろう。しかし、なに一つ文句を言わなかった。ヘルパーさんは24時間態勢で、常にいてもらわなくてはならない。30人以上替わったけれど、みなさん、こんなに楽な家はなかったといってくださった。ヘルパーさん達もよい人が揃っていた。
それならなぜ替わるかというと、ヘルパーさん同士に相性があり、申し送りに問題が起こる。 ……
吉行和子は親子の〈やりとり〉をそのまま書いていますが、あぐりは、世話になってる娘に対して口はなかなか達者です。ほんとは親子の情愛はしっかりあるのですが(本を読めば)、それでもこんな〈やりとり〉をする。娘の和子は〈やりとり〉をそのまま書く。
なぜなのか、引用してみたくなりました。