いま『医者が、がんで死と向かい合うとき』(布施徳馬 著/講談社1994年発行)という本を読んでいます。30年近く前に出た本ですから、著者の現在はわかりません。ぼくより1年遅く、昭和13年に生まれた人です。
ぼくは千葉敦子の『死への準備日記』を読んだころから、〈癌・闘病記〉といった本をよく読みました。図書館で見つけると読んでみたくなるのです。有名な人/無名な人/の闘病記を50冊超読んだでしょうか。
「癌」と宣告されると、生きる/死ぬ/ことに真正面から向き合う心境になる。それを文字のかたちで書く。その真摯な生き方に吸い寄せられるのか。図書館で見かけると本を借りてしまいます。
いま読んでる本に「ペンタジン」という一節があったので、自分の「ペンタジン体験」を思い出しました。本から引用してみます。
ペンタジン注(射)を受けると気持ちよくなり、幻想があったりするようである。たしかに痛みが薄らぎ、眠りに入るようであったが、それは二時間くらいのことで、そのあとは再び襲ってくる痛みに ……。 (中略)
ペンタジンの注射は …… 中毒患者を生むことがある。多幸感や色つきの幻想をもたらすといわれている。イビキをかいて眠りに入ったそうであるが、特別いい気持ちは味わえなかった。ただし、これを使っていると、詩心というか詩想というか、そんなものが湧き、詩らしいものができてくる。痛みに押しまくられ、それをペンタジンで抑えていた三日間には、考えや思いが詩となって現れてくるのだった。 ……(何本も注射してもらったんですね)
残念ながらそれらはいま、詩として書いてみようとしてもうまくいかない。そのときにはあとで書き残しておこうと思っていたのに、さっぱり詩となってくれない。芸術家が麻薬やLSD(幻覚剤)と使うことがあるように、僕もペンタジンが効いている間はある種のハイの状態にいたようだ。
ぼくは43歳のときに「膀胱憩室を切除する」手術を受けました。30万人に一人くらい見られるそうですが、膀胱が二つあるので一つを切除する手術です。6時間超の手術でした。術後、痛みを抑えるためにペンタジンの注射をしてもらいました。
注射のあとの「いい気持ち」はいまでもおぼえています。体験したことのない。「宇宙にただよってる」感じ。
ぼくの注射は一度だけでしたが、あれはいい気分だった。死ぬときもあんな気分だったらいいな。
ぼくは千葉敦子の『死への準備日記』を読んだころから、〈癌・闘病記〉といった本をよく読みました。図書館で見つけると読んでみたくなるのです。有名な人/無名な人/の闘病記を50冊超読んだでしょうか。
「癌」と宣告されると、生きる/死ぬ/ことに真正面から向き合う心境になる。それを文字のかたちで書く。その真摯な生き方に吸い寄せられるのか。図書館で見かけると本を借りてしまいます。
いま読んでる本に「ペンタジン」という一節があったので、自分の「ペンタジン体験」を思い出しました。本から引用してみます。
ペンタジン注(射)を受けると気持ちよくなり、幻想があったりするようである。たしかに痛みが薄らぎ、眠りに入るようであったが、それは二時間くらいのことで、そのあとは再び襲ってくる痛みに ……。 (中略)
ペンタジンの注射は …… 中毒患者を生むことがある。多幸感や色つきの幻想をもたらすといわれている。イビキをかいて眠りに入ったそうであるが、特別いい気持ちは味わえなかった。ただし、これを使っていると、詩心というか詩想というか、そんなものが湧き、詩らしいものができてくる。痛みに押しまくられ、それをペンタジンで抑えていた三日間には、考えや思いが詩となって現れてくるのだった。 ……(何本も注射してもらったんですね)
残念ながらそれらはいま、詩として書いてみようとしてもうまくいかない。そのときにはあとで書き残しておこうと思っていたのに、さっぱり詩となってくれない。芸術家が麻薬やLSD(幻覚剤)と使うことがあるように、僕もペンタジンが効いている間はある種のハイの状態にいたようだ。
ぼくは43歳のときに「膀胱憩室を切除する」手術を受けました。30万人に一人くらい見られるそうですが、膀胱が二つあるので一つを切除する手術です。6時間超の手術でした。術後、痛みを抑えるためにペンタジンの注射をしてもらいました。
注射のあとの「いい気持ち」はいまでもおぼえています。体験したことのない。「宇宙にただよってる」感じ。
ぼくの注射は一度だけでしたが、あれはいい気分だった。死ぬときもあんな気分だったらいいな。